この事件は1979年のフランスである青年が突如現れた光の中に消えた後、一週間後に再び姿を現したという怪事件である。
この事件が発生したのは1979年11月26日、フランスにあるセルジー・ポントワーズの町中だった。
この日の朝3時半、ノミの市で生計を立てていた青年三人が、パリ郊外の町セルジー・ポントワーズのアパートから、商品のジーンズを車に積み込んでいた。
このアパートは三人の内の一人でありリーダーのジャン・ピエール・プレボ(26)の物である。
このアパートから荷物を運びこむため、アパートの前に車を停めていたのだが、なにぶんオンボロ自動車であったため、一度かけたエンジンはなかなか止められなかった。
そのため、最年少のフランク・フォンテーヌ(18)を車に残し、リーダーのプレボと仲間のサロモン・ヌディエ(25)が車に荷物を運びこむ作業を行っていた。
この二人が荷物を取りにいっている間、車内で留守番をしていたフォンテーヌがふと外を見ると、空に小さな光体を見つけた。その物体は近づきつつあるのか、次第に大きくなり、シリンダーの様な形をしているのがわかったという。
荷物を運んでいた二人もそれに気付き、ヌディエはこれを撮影するため、カメラを取りにアパートへと駈け出した。プレボもこの光体が気にはなったものの、最後の荷物を取りにアパートに戻っていった。
フォンテーヌは別の方向から物体を見ようと思い、車で道路に移動した。
そのとき、アパートの中にまで光る物体の轟音が聞こえてきた。
その音に驚き、プレボとヌディエがアパートの窓から外を見ると、道路に停まっているフォンテーヌの車を大きな光の球が包み込むのが見えた。
フィルムを探していたヌディエは慌てふためいていたが、プレボは何か良からぬ事が起きたと察し、ヌディエを置いて外へと飛び出した。
外に出ると、車の後部が光の球体に完全に覆われており、車の周りと小さな光の玉がいくつも回っていたという。
それを呆然と見つめるうち、小さな光の玉が大きな光の玉に吸収され、ビーム状の強烈な光が出現。やがて、次第に太くなると先ほど見たシリンダー状に戻り、大きな光の玉がその中に入っていくと、あっと言う間に飛び去っていってしまった。
その後、恐る恐る車内を覗いてみてると、そこにフォンティーヌの姿は無かった。
プレボ達は直ぐに警察に「仲間がUFOに攫われた!」と通報したが、なぜかフランスではUFOに関しては軍の取り扱いになっていた。そのため、この届け出は受理されず、プレボは渋々憲兵隊に連絡した。
憲兵隊の事情聴取に応じる二人は、その合間を縫って新聞社にも通報をしていた。そのせいで事件は隠ぺいされる事なく広まり、「フランス初のアブダクション事件」としてフランス国内を席巻したのである。
その後、事件の取り調べを行ったクールクー憲兵隊長によれば「二人の証言に疑いを差し挟む根拠は今のところない。何かが起こったことは確かだが、それが何かは何も言うことができない」と語っている。
だが、必死の捜査にも関わらず、フォンテーヌの行方は依然解らぬままっだた。
空港や空軍基地のレーダーの記録すらチェックされたが、事件発生時に未確認飛行物体を捉えたという報告は無かった。
現場近くの変電所でも何も異常はなく、残された車に対してのガイガーカウンターによる放射能検査でも何も反応はなかったとされる。
さらに、この三人が定食を持っていなかったこと、また免許を持たずに車を所持していたことや、リーダーのプレボは無政府主義者を自称しているアナーキストであった事などから、一部メディアでは彼らの狂言であるという説が論じらえた。
しかし、事件後すぐに警察に届けたほか、事情聴取に対しても積極的で本気で仲間を探している様子が伝わったのか、彼らの証言を信じるという意見が大多数を占めた。
そして、フォンティーヌの失踪か一週間が過ぎた12月3日。ついにフォンティーヌが発見された。
彼はその日の早朝、アパートの付近にあるキャベツ畑の中で目覚めたという。
自分が30分ほど居眠りをしていると思い込んでいたフォンテーヌは、アパートの前に車が無い事から、自分のせいで車が盗まれたと思い、プレボの部屋のドアを叩いた。しかし返事がなかったため、同じアパートのヌディエの部屋のドアを叩いた。
驚いたヌディエが扉をあけると、そこにいたフォンテーヌは「車が無いんだ!」と叫んだというが、それよりも驚いたのはヌディエであった。
こうして無事姿を現したヌディエであるが、その後、各メディアや研究機関、UFO団体によってフランス中をおいまわされる事になった。
さらに、フォンテーヌは当初記憶はまったく無かったが、次第に記憶を取りもしてきたとし、宇宙船内の詳しい様子やその時であった宇宙人等の様子を詳細に語りはじめた。
また、フォンテーヌは「翌年8月15日に再び宇宙人と会う約束をした」と発言。この“謁見予定日”当日には、各地から一目UFOを見ようと多くの人々が現場に圧mり、北側の空き地で手をつないで輪になり、UFOを迎える準備をしたものの、結局UFOはフォンテーヌや人々の前に二度と姿を現す事は無かった。
しかしその後、各UFO研究団体の調査によって、幾つかの矛盾点が指摘されるようになる。
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