【1970年代】フレドリック事件

1978年10月21日に起きたセスナ機とUFOの接触及び、セスナ機の消失事件である。
フレドリック事件と言われるが、バレンティッチ事件とも呼ばれる。

被害者の名前がフレデリック・ポール・バレンティッチであることから2種類の事件名が存在するのである。

フレデリックはその日、夜間飛行訓練の為にオーストラリアのモラビン空港からオトウェイ岬へと向かっていた。
フレデリック自身は、昼間の飛行経験は豊富だが、夜間飛行に関してはこの時が初めてだったと言う。

目的地のオトウェイ岬付近に到着すると事件は起きた。
フレデリックは管制塔へ自分以外の飛行中の航空機がないかと尋ねてきた。
しかしながら、管制塔が確認した結果、レーダー上も記録としてもこの時間帯にその付近を航行する航空機は無かったので、フレデリックにはその旨伝えた。

フレデリックは管制塔に自身のセスナ機の情報に未確認の飛行物体が見え、セスナの周囲を行ったり来たりしていると伝えてきた。更にはその物体には4つ程の光が見えていたと言う。

その際のフレデリックとメルボルン管制塔のやり取りは以下の通りである。
フレデリック(以下フレ)「高度5,000前後に他の飛行予定はあるか」
管制塔(以下管)「現在、飛行予定も飛行の事実もない」
フレ「しかし、高度5,000フィート程に別の大型航空機がいる」
管「その航空機はどんな種類だ」
フレ「判断出来ない。着陸灯らしき光が4つほどある」
フレ「それが本機の1,000フィート上を通過した」
管「了解。どの程度の大きさだ」
フレ「速度が速すぎて確認出来ない。空軍機などは近辺に居る可能性は?」
管「周辺には空軍機を含む他の航空機は確認出来ない」
フレ「飛行物体は東方面から本機に向かってくる」
フレ「確認出来ない程のスピードだ」
フレ「本機の周辺を飛び回っている。明らかに航空機ではない」
管「その飛行物体の詳細を」
フレ「考えられない速度で長い形をしている。見た事も無い。現在目の前にいる」
管「了解。そちらの意向としては?」
フレ「キング島に向かいたい。物体は本機上空すぐにいる。」
(*この後、約17秒間通信状態のままフレデリックは無言で妙な金属音だけが響き通信が切れる)

この緊迫したやり取りと、最後の金属音が鳴り響いている状態から考えても、通常の状態ではあり得ない状況が起きていると言える。
管制塔とのやり取りは6分以上に亘り、このやり取りだけでも充分に何かが起きた証拠となるものだ。

最後の金属音は軽い衝突音若しくは機体を削るような音だった。
フレデリックが求めたキング島は目前であり、通信が途絶えたと同時にフレデリックが乗ったセスナ機も消失した。

オーストラリア軍がすぐに対応し、空と海から充分に捜索が行われたが、セスナ機の小さな残骸すら見付ける事が出来ず、パイロットの遺体や遺留品も発見出来ない状況で4日間で捜索を終えた。

この事件に信憑性を持たせるのは、必ずしもフレデリックと管制塔のやり取りだけではない。
この事件から遡る事1ケ月半前よりオーストラリアではそれまでにないほどのUFOの目撃事件が起きていたのだ。
目撃証言のみならず、写真などにも収められている。
その為、この事件は当初ただのセスナ機の事故として報道されたが、その後管制塔とのやり取りや、その前後に多発したUFO目撃事件が元となりUFO研究家やマニアに限らずセンセーショナルな事件となった。

もちろん、疑義の声は上がり、様々な説や検証も行われたが、充分な飛行経験があるフレデリックが既知のものと、未知のものを長時間に亘って見間違うとは考えられない。

また、念入りな軍による大規模な捜索にも関わらず、僅かな痕跡すら見付ける事が出来なかった事も実に不思議な話である。
ただ、当日の航行予定表は片道分しか提示されておらず、フレデリックの自殺説は根強く残っている。
だが、自殺にしてもこう言ったやり方であれば大騒ぎになる事は理解していた筈で万が一、自殺と断定された場合、遺族にかかる負担は想像を絶するものでこの説は考えにくい説である。

よって、この事件はフレデリッがその正体は何であれ、未知の飛行物体と遭遇した真実の事件と考えて良い。