1959年パプアニューギニアで起こった事件である。
この事件の稀少性は、まずはその目撃者の多さにある。
目撃の当初で既に38名もの人間が同時に目撃をしているのである。
最終的には150名を超える同時目撃事件となる。
次に稀有な点は、時間的長さである。
未確認飛行物体が上空にいた時間はなんと4時間である。
そして、物体に搭乗する人型らしきものが反応を返すと言う異例の事件となった。
1959年6月26日、21日から様々な人から目撃情報が伝えられていた未確認飛行物体がその日は4時間に渡って目撃されることになる。
夕刻、午後6時頃、ニューギニア島パプア地区ボイアナイ全聖者伝道会の宣教師ウィリアム・ブース・ジルが帰路の際、西方の空に巨大な発光体を目撃した。
神父である彼は、当初その物体をUFOとは考えなかった。その為、神父は助手を呼び「上空に何か見えますか」と尋ねると「光体の様なものがあります」と言う助手の答えに神父は「ではすぐにモイ先生のところへ行って急いで来て欲しいと伝えて下さい。」と言った。
助手のエリックはモイを呼び行く道すがら、会う人達に話をし、全員で見失わない様にUFOを確認し続けた。その後、神父達は場所を変えたが物体は消えることなく上空に居続けた為に、観察をし続けた。
神父はノートと鉛筆のみと言うお粗末な道具でこれらの記録を留めようとした。
「この世のことは全て神の為せる業であるが、我々がまだ知り得ない不思議な事は多くある。
今我々が目にしているのもその一つかも知れない。しかし、何もしなければ今日以降、あれは夢であった、幻覚であったと思い込むかも知れない。今起こっている事が何であるにせよ、記録があれば少なくとも現実であったと認識出来るでしょう。」
それが、神父の記録を録る理由だった。
この事件神父周辺の人間に限らず、同時刻に対岸において貿易商のアーネスト・イ―ブットも目撃しており、証言が合致する。
翌27日、同時間にまたもや同じ物体に神父達は遭遇する。
今度は約130m付近まで下降した位置での遭遇である。
1機だけでなく、小型船が2機、大型船が1機が見えた。
異性人らしき人型のものが4人、デッキらしき形状の場所へ出て来た。
神父は臆せずに「こんばんわ」と手を振ると、何と驚くべき事にUFOの1人が同じ様に手を振り返してきた。神父が尚も手を振り続けていると、何と4人共が手を振り返してきた。
更に、神父が両手で手を振ると、相手も同じ様に両手で手を振り返してきた。
異星人とのコミュニケーションと言う意味ではここまでの事件は類を見ない。
この後も、この地域では2ケ月ほどの期間目撃が相次ぐ。
もちろん疑念の声は多くあるが、同時にこれほどの人数、規模、時間的長さ、客観的目撃者の存在などが揃っている事件はそうそうない。否定派は、金星、火星などの見間違いだろうと指摘するが、それらを別個にハッキリ識別して長時間観察する方が余程困難である。
また、各国の秘密兵器や、軍用機で有れば、デッキに人が出てコミュニケーションをとるなどということはあり得ず少なくとも否定派の2説は全く説得力に乏しいものと言わざるを得ない。
惜しむらくは、それだけの時間、それだけの人数で確認しておきながら、何故僅か一人でも証拠となり得るカメラや録音、録画機材を使わなかったのかと言う事である。
4時間もあればTV局を呼ぶ事さえも可能だった筈である。
真実性が高いこの事件の最大の謎である。確かに当時の時代背景や、場所柄を考えるとそれらの機材を気安く持てる人はいなかった事は理解出来るし、何より信頼のおける神父が代表となって目撃、記録までしており、信憑性に疑念を持たれるとは思わなかったのだろう。
しかし、同様の事件が、同様の条件で現代に起きたなら、記録機材の発達した現在において記録映像がないイコール虚偽となることだけは間違いない事実である。
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