【1986年】日航ジャンボ機UFO遭遇事件

  1. 日航ジャンボ機UFO遭遇事件・概要 1986年11月17日、日本航空の貨物機が、アメリカのアラスカ州上空で未確認飛行物体に遭遇し、その物体に追跡された。これが日航ジャンボ機UFO遭遇事件である。 パリ発アンカレッジ経由東京行きJL1628便は、その日、ボジョレー・ヌーボーなどを載せていた。 アメリカ・アラスカ州のフェアバンクス上空の高度約10,000メートルを飛行中に飛行物体と遭遇、米国連邦航空局(FAA)の地上レーダーと米軍のレーダー局との交信記録、機長からの報告、米軍レーダー局からのレーダーの整合性もあり、世界中の知るところとなる。 当時の機長は、遭遇した飛行物体を「両端にライトを点灯させた巨大な母船型UFO」と証言している。

2.当時の主な証言
コクピットクルーとして報道されたのは、以下の3人である。
寺内 謙寿(機長・当時47歳)
為藤 隆憲(副操縦士・当時39歳)
佃 善雄(航空機関士・当時33歳)

UFO遭遇時の主な証言
寺内機長:
「両端にライトを点灯させた巨大な母船型UFOに遭遇した」
「UFOは自機の大きさの3~4倍にも匹敵する巨大な球形」
「1時間弱の間、旋回して逃れようとした同機と併走するように移動」
「機内の気象レーダーにもはっきりと写った」
「雲のような透明状のものとしてレーダー上では写っていた」
※金属製の物体なら赤く映るがUFOの像はグリーン
為藤副操縦士:
「光は見たが、機長の言うような形には見えなかった」
佃 航空機関士:
「何も見ていない」

寺内機長は航空自衛隊機パイロットの経験をもち、その後に日航に入ったという経歴がある。総飛行時間10,329時間のベテランであった。

3.機長が米軍空軍機の捜査を断った理由
日航ジャンボ機がUFOと遭遇した時、コックピットでは何が起きてきたかが詳細にわかっている。
まず、地上レーダー管制との会話において、管制局から「調査のため空軍機の飛行を依頼するか」との提案があった。しかし、寺内機長はこれを断っている。
機長はなぜ、米軍空軍機の捜査を断ったのか。
当時のインタビューにその記録が残っている。

「非常に高度に発達した飛行機に対して、あるいは宇宙船に対して行動を取った場合に、彼らはものすごい技術を持っていますんでね。"なんか変なことでもされたんでは申し訳ない"という気持ちがありますもんで、即座に断りました」

その後、JL1628便がアラスカ行きのユナイテッド航空機と行き違った。
UFOは、今度はこのユナイテッド機の追尾を始めるように反転したという。

4.食い違う証言と不可解な報道
寺内機長には、当時、共同通信社に勤務する友人がいた。
この友人にUFO遭遇の話をしたところ、テレビや新聞、週刊誌などで大きく報道された。
しかし、これまでの証言をくつがえすように、その後は「機長が惑星を見間違えた」などの報道がされており、副操縦士、航空機関士の証言もUFOではない否定的なものになっている。
寺内機長の証言については、他にもカメラでUFOを撮影しようとした、ともある。
UFOが日航ジャンボ機の周辺飛び回っている間の、UFOを撮影しようと思った機長はオートフォーカスのカメラで撮影を試みるが失敗。
「暗すぎてフォーカスが合わず、マニュアルにしても今度はシャッターが閉まってくれなかった」としている。
寺内機長がどのような状況で共同通信社の友人にUFOの話をしたのか、には諸説ある。
酒を飲んだ際に面白おかしく話をしたことが発端でUFO騒動に発展したのでは、という憶測があるが、定かではない。
UFOが日本人に身近になったのは、1980年代に頻繁にテレビ番組の企画で報道されていたことも理由にあげられるが、日航ジャンボ機の一件は不可解なほど取り上げられない。
現在でも、海外のテレビ局では日本人機長のインタビューなどの検証が行われており、テレビ番組では特集も組まれている。
近年、動画サイトで当時の報道を閲覧することも可能だ。

5.「UFOを見ても報告はせず」が常識
当時、寺内機長が描いたUFO図やイラストを描きながらのインタビュー映像があるにもかかわらず、この件に関しての続報がない。
寺内機長はその後、どうなったのか。
機長という立場であったにもかかわらず、世間に不安を与えたという理由でしばらくは地上勤務になった。
しばらくして再び機長として職務につくも、UFO遭遇事件に関しては一切口をつぐんだままだった。
パイロットや客室乗務員が職務中、たとえUFOを目撃したとしても、正式に報告はしないという。
その理由は、精神疾患やアルコールによる酩酊、薬物の影響など予期せぬ嫌疑をかけられるからだ。
第一線から外されることや、退職のリスクがあるからだという。
この事件から15年後の2001年、米国連邦航空局の職員であり、事故調査部長だったジョン・キャラハン氏が寺内機長の報告を裏付ける証言をした。
日航ジャンボ機が遭遇したUFOは、寺内機長の報告通り、実際にレーダーで確認され連邦航空局で追跡した事実があったことを認めた。
また、寺内機長のマスコミへの反論インタビューの記録も残っており、福島県の福島市飯野UFOふれあい館に保管されているという。