「明らかに知的に操縦され、こちらをからかっているように見えた。撮影されているのも承知のようだった」。これはUFO取材のためのチャーター機に乗り込み、機上での撮影に成功したオーストラリアのテレビ局取材班チーフの言葉。UFOは接近してきたり、平行して飛んだり、頭上にとどまったり、前方にまわりこんだりと、さまざまな飛び方をテレビカメラの前で披露したのだ。
発端は1978年12月、ニュージーランド上空にUFOが出没した事件。ウェリントン航空交通管制センターのレーダーが5つの物体を捉え、航行中の貨物機2機も発光体を目撃した。これを聞きつけた隣国オーストラリアのテレビ局が、スクープ映像を狙って取材に乗り出したのだ。そして、同年の大晦日の夜、貨物機と同じ航路を同じ時間帯で飛び、みごと謎の発光体との遭遇を果たした。UFOは行きも帰りも現われ、ウェリントン航空交通管理センターでも再びレーダー補足されていた。
撮影された映像は年が明けた元日にさっそくオンエアされ、世界的な反響を呼ぶこととなった。さらに、この事件はUFO史上に残る画期的な展開を見せる。アメリカの著名な科学者や技術者ら約20名が集結して徹底検証を行ない、3月に入り記者会見を開いて、まさに正体不明の飛行物体だと発表したのである。一団にはUFO肯定派だけでなく、表だって名乗れない政府・軍関係の研究所員なども含まれていた。
彼らはフィルムをひとコマずつ調べ、天文・気象・航空関係の諸要素とつき合わせ、多角的な分析を行った。そして、懐疑派が挙げていた金星説、隕石落下説、漁船の灯火説などを、ひとつひとつ打ち消していった。この事件は第一線で活躍する科学者、技術者の検証をクリアし、お墨付きを得ただけでなく、それが記者会見で公表されたという点で史上初のものとなった。その後のUFO研究の道を開く大事件でもあったのだ。
コメントをするには会員登録が必要です