アイザック・ニュートン(Isaac Newton)は1687年7月に『自然哲学の数学的諸原理(プリンキピア)』を刊行し、古典力学(ニュートン力学)を作り上げた。ニュートンは17世紀の哲学者ルネ・デカルト(René Descartes)の流れをくんで、機械論的世界観の影響を受けていた。
そのため、ニュートンは『プリンキピア』のなかで、惑星の運動を表すための基礎として運動に関する3つの法則を提示したが、デカルトやガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei)が提唱していた慣性の法則も、整理して第1法則とした。
(1)すべての物体は、それに加えられた力によってその状態が変化させられない限り、静止あるいは一直線上の等速運動の状態をつづける。(慣性の法則)
(2)運動の変化は加えられた動力に比例し、かつその力が働いた直線の方向にそって行われる。(運動の法則)
(3)すべての作用に対して、等しく、かつ反対向きの反作用が常に存在する。すなわち、互いに働き合う二つの物体の相互作用は常に相等しく、かつ反対方向へと向かう。(作用反作用の法則)
また、デカルトの発見した運動量保存の法則も、第3法則(作用反作用の法則)を使って証明することができる。
これらの法則を基にしてニュートン力学が発展した結果、物体運動を予測する計算が可能となり、初期の粒子の運動状態がわかれば、そこから演繹的に未来の運動状態を計算することができ(例えばビリヤードの手球をどのように打ち出せば、すべての的球を落とすことができるか計算で出すことができる)、ひいては、この宇宙は因果律に支配されているため、未来はすでに過去の出来事で決定づけられているとする因果的決定論が支持されるようになった。
そのような思想が広く行き渡った18世紀後半にピエール=シモン・ラプラス(Pierre-Simon Laplace)があらわれ、1812年に自著の『確率の解析的理論』のなかで以下のような主張をした。
もしもある瞬間における全ての物質の力学的状態と力を知ることができ、かつもしもそれらのデータを解析できるだけの能力の知性が存在するとすれば、この知性にとっては、不確実なことは何もなくなり、その目には未来も(過去同様に)全て見えているであろう。
つまり、この宇宙すべての原子の位置とその運動量を知ることができる知性がいるのなら、その知性はこれから何が起きるのかを寸分違わず言ってみせることができるだろう、ということである。この架空の超越的な知性のことを、ドイツの生理学者のエミール・デュ・ボワ=レーモン(Emil Heinrich du Bois-Reymond)が「ラプラスの霊(Laplacescher Geist)」と呼び、その後「ラプラスの悪魔」とか「ラプラスの魔物」などといわれるようになった。
しかし、この「ラプラスの悪魔」が存在するかどうかについては、その後20世紀初頭に量子力学が誕生し、「全宇宙の原子の運動および位置が分かる」可能性は、ヴェルナー・カール・ハイゼンベルク(Werner Karl Heisenberg)が1927年に不確定性原理(ある粒子の位置をより正確に決定する程、その運動量を正確に知ることができなくなり、逆もまた同様であるという原理)を発表し、否定された。よって、たとえ「ラプラスの悪魔」が存在していたとしても、未来のことについて正確に言い当てることはできないだろうと考えられている。
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