ムシュフシュ(Mušḫuš)とは、古代メソポタミアの神話に登場する霊獣である。
蛇の頭と2本の角、ライオンの前脚、鷲の後脚、蠍の尾を持つとされ、翼が生えた姿で描かれることもある。その名は「怒れる蛇」を意味すると云われる。
最古期には、四本足を持つ蛇のような姿で描かれているが、時代が下るにつれて様々な要素が合成され、姿を変えていったと考えられている。
【名の由来】
シュメール語で「muš」は「蛇」、「ḫuš」は「怒れる、畏れ多い」を意味するため、「ムシュフシュ(Mušḫuš)」は「怒れる蛇、畏れ多き蛇」を意味するとされる。
尚、厳密には「ḫuš」は「畏敬の念を起こさせる」という意味であり、「赤い色」を意味する語でもあるという。
また、楔形文字の解読が進められる過程で「シルシュ」とも呼ばれていたが、現在は「ムシュフシュ」と読むのが一般的なようである。
【ムシュフシュの変遷】
ムシュフシュの名は、古代バビロニアの創世記叙事詩『エヌマ・エリシュ』において、恐ろしい怪物として記されている。
それによるとムシュフシュは、原初の女神ティアマトが、その子孫マルドゥクと戦うために生み出した11の怪物の一体とされている。因みに、このときティアマトは、七つの頭を持つ蛇『ムシュマッヘ』、毒蛇『バシュム』、蠍尾龍『ムシュフシュ』、海獣『ラハム』、巨獅子『ウガルハム』、狂犬『ウリディンム』、蠍人『ギルダブリル』、半魚人『クリール』、ドラゴン、嵐の怪物、雄牛―を生みだし、彼らに神性を与えたと云われる。
ティアマトがマルドゥクに倒されると、ムシュフシュはその軍門に下り、マルドゥクの随獣となったと云われている。
この『エヌマ・エリシュ』は紀元前12世紀頃に書かれたものであるが、ムシュフシュの姿が歴史上最初に登場するのは、さらに時代を遡り、紀元前30世紀頃とも云われている。ムシュフシュは、都市の興亡に伴って従う神を変え、紀元前18世紀にハンムラビ王がメソポタミア地方を統一した時に、上述のマルドゥク神の随獣となっている。
元々ムシュフシュは、古代メソポタミアの都市エシュヌンナにおいて、当時信仰されていた地下世界のニンアズ神の随獣だったと云われ、首の長い動物として描かれている。古代エジプトにもその影響が見られ、紀元前31世紀のものと考えられる『ナルメルのパレット』にもムシュフシュの画が刻まれているという。
その後、エシュヌンナの守護神がニンアズからティシュパクに変わると、ティシュパクの随獣となり、さらに、古バビロニア王国のハンムラビ王がエシュヌンナ市を征服すると、バビロンの都市神マルドゥクとその子ナブーの随獣になったという。
その後、アッシリア王センナケリブがバビロンを陥落すると、ムシュフシュはアッシュール神の随獣になった。
また、紀元前7世紀頃に造られたとされるバビロンのイシュタル門には、四本足を持つ蛇に似た細長い体型のムシュフシュが描かれており、その他にも、宮殿の守護獣として壁画に彫刻されたり、王の碑文に姿が彫られたりしたという。
【備考】
旧約聖書『ダニエル書』には、ユダヤ教と一部キリスト教教派が正典と認めない3つの部分が存在し、その一つに「ベルと竜」がある。その逸話は『ダニエル書補遺』に記されており、偶像崇拝を否定するダニエルが、武器を使わずにバビロニア人の信仰する竜を殺すというものである。
一説によると、このときダニエルに殺された竜はムシュフシュではないかと云われている。
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