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モレク(モロク)

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元は古代中東で崇拝された神・モレクであり、ヘブライ語で元来は「王」を意味する名でもあった。
また、人身御供――特に子供を犠牲として望んだことから、「涙の国の君主」「母親の涙と子供たちの血にまみれた魔王」としても知られている。
豊穣をもたらす神としてヨルダン人から信仰され、ブロンズのモレク像が作られたが、それは生贄の祭壇としても用いられ、7種類の生贄(小麦粉、キジバト、牝羊、牝山羊、子羊、牡牛、人間の子供)が捧げられ、生贄はすべて生きたまま焼き殺され、子供に関しては王権を継ぐ第一子の新生児が捧げられることが通常であった。
生贄を捧げる際にはシンバル、ラッパ、太鼓の凄まじい大音量の演奏が行われたが、これらの楽器による演奏は焼き殺される子供の泣き声をかき消すために行われていたという。
モレク信仰の祭儀場となったゲヘナ、霊地であったトペテは旧約聖書の中で地獄と同義として扱われている。
モレクの儀式があまりにも苛烈であったため、ユダヤ人からは忌避すべき神の1柱とされ、モレク信仰で子供を捧げることは石打の大罪(実質的な死刑)にあたるとされていた。
その他にも、モレク信仰に携わることは神に背くこととされ、神に背いたものにモレクの元へ行けといった厳しい描写が目立つ。
しかし、ユダヤ人であるソロモン王は、モレク信仰に携わり、祭壇を築いたとされる。
また、旧約聖書において神がアブラハムに自らの初子であるイサクを捧げるよう要求した場面が存在しているが、このアブラハムの受難では捧げようとした時に、神がアブラハムを止め、代わりに羊を生贄に捧げることにしている。
これはモレク信仰から決別したことを示す一例ともされている。
その一方で、新約聖書において、イエスが人類の原罪の贖いとして殺されることを、モレクの初子の生贄と同様に、神自らが初子を贄とした、とする説も存在している。
悪魔としてのモロクは「人身御供の血にまみれ、親たちが流した涙を全身に浴びた恐るべき王」「天において戦った天使のうち最も強く、最も獰猛なもの」と非常に恐ろしい存在と考えており、また地獄の会議においても常に主戦派の筆頭として弁を振るっている。
『地獄の辞典』においてモロクは玉座に座り、王冠をかぶった牛、という古代の王権を戯画化した挿絵で登場している。
涙の国の君主であり、生贄の人間を受け取るためにその腕はとても長く、アモン人が作ったモロク像の内部には7つの戸棚が存在し、それぞれにモレクに捧げたのと同様の生贄が捧げられるとしている。
『地獄の辞典』に登場する悪魔の中では特にユニークなデザインをしており、恐怖心を煽るというよりも、生贄をくべる炉として描かれている面が強くでいている。

カルタゴの遺跡発掘で、子供を掴む祭祀を描いたレリーフ、祭儀場からおびただしい数の子供の骨が出てきたことから、モレク信仰は確認されており、また子供の骨から生贄の子供はほぼ6歳を上限としていることが分かった。
ポエニ人の聖域トペテからの人身御供の形跡に、カルタゴの主神であるバアル・ハモン、タニトも幼児供犠を求める存在とみなされ、モロクと同一視されることもあったが、遺骨が聖書の通り、生前に焼き殺されたものなのか、死後に火葬に伏されたものなのかわからないことから、幼児供犠ではなく、幼くして死んだ子供が迷わずに神の元にいけるように弔った火葬であるという反対意見が唱えられている。