四凶とは、古代中国の舜帝の時代に、中原の四方に流された四柱の悪神である。
書経と左伝に記されているが、内容は各々異なる。
四罪と同一視されることが多いが、左伝に記されているものが一般的である。
書経に記されているものは四罪と定義していることが多い。
渾沌(こんとん)、饕餮(とうてつ)、窮奇(きゅうき)、檮杌(とうこつ)が四凶と呼ばれる。
渾沌とは、混沌を司る怪物である。
大きな犬のような姿で長い毛が生えており、爪の無い脚は熊に似ている。
目があるが見えず、耳もあるが聞こえない。
脚はあるのだが、いつも自分の尻尾を咥えて回るだけで前に進むことは無く、空を見ては笑っていたとされる。
聖人である黄帝の不肖の子であり、聖人の舜に追放された。
善人を忌み嫌い、悪人に媚びるという。
その他に、頭に目、鼻、耳、口の七孔が無く、脚が六本と六枚の翼が生えた姿で現される場合もある。
道教の世界においては、「鴻鈞道人(こうきんどうじん)」という名で擬人化されている事があり、明代の神怪小説封神演義ではこの名で登場している。
荘子には、目、鼻、耳、口の七孔が無い帝として、渾沌が登場する。
南海の帝と北海の帝は、渾沌の恩に報いるため、渾沌の顔に七孔をあけたところ、渾沌は死んでしまったという。
そこから、物事に対して無理に道理をつけることを『渾沌に目口を空ける』と言う。
饕餮は体は牛か羊で、曲がった角、虎の牙、人の爪、人の顔などを持つ。
饕餮の「饕」は財産を貪る、「餮」は食物を貪るの意味がある。
何でも食べる猛獣、というイメージから転じて、魔を喰らう、という考えが生まれ、後代には魔除けの意味を持つようになった。
一説によると、古代中国神話に登場する神であり、三皇五帝の内の一人、蚩尤(しゆう)の頭だとされる。
殷代から周代にかけて青銅器や玉器の修飾に部分的に用いられる饕餮文(とうてつもん)がある。
この時代の王は神の意思を人間に伝える者として君臨していた。
その地位を広く知らしめ、神を畏敬させることで民を従わせる為に、祭事の道具であるこのような器具に饕餮文を入れたものとされる。
良渚文化の玉琮には、饕餮文のすぐ下に王の顔が彫られたものも出土している。
そのため、饕餮の起源は良渚文化の栄えた長江流域で崇拝された神だったといわれている。
ただし、これらの装飾が当初から饕餮と呼ばれる存在の描写であったという証拠は何もなく、後世に饕餮文と呼ばれているだけである。
そのため、中国考古学の専門家である林巳奈夫はこれを「獣面紋」と呼んでいる。
窮奇は中国最古の地理書『山海経』では、「西山経」四の巻で、ハリネズミの毛が生えた牛で、邽山(けいざん)という山に住み、犬のような鳴き声をあげ、人間を食べるものと説明している。
「海内北経」では人食いの翼をもったトラで、人間を頭から食べると説明している。
五帝の1人の少昊に不肖の息子がおり、その霊が邽山に留まってこの怪物になったともいう。
『山海経』にならって書かれた前漢初期の『神異経』では、前述の「海内北経」と同様に有翼のトラで、人語を理解し、人が喧嘩していると正しいことを言っている方を食べ、誠実な人がいるとその人の鼻を食べ、悪人がいると獣を捕まえてその者に贈るとしている。
思想書『淮南子』では、「窮奇は広莫風(こうばくふう)を吹き起こす」とあり、風神の一種とみなされていた。
日本の風の妖怪である鎌鼬を「窮奇」と表記することがあるが、これは窮奇が風神と見なされたことや、かつての日本の知識人が、中国にいるものは日本にもいると考えていたことから、窮奇と鎌鼬が同一視されたためと考えられている。
檮杌とは虎に似た体に人の頭を持っており、猪のような長い牙と、長い尻尾を持ち、毛の長さは二尺で戦うことしか知らない怪物である。
三皇五帝の一人、顓頊(せんぎょく)の子と言われている。
舜帝によって捕えられ、西方の果てにある羽山に流罪となった。
尊大かつ頑固な性格で、荒野の中を好き勝手に暴れ回り、戦う時は退却することを知らずに死ぬまで戦う。
常に天下の平和を乱そうと考えていることから「難訓」という別名がある。
またはおごり高ぶって凶悪であることから「傲狠」とも呼ばれる。
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