北海道函館市住吉町地先
飛び込み自殺が多いと言われ、心霊写真が撮れると言われている。
立待岬(たちまちみさき)とは、北海道函館市函館山南側にある岬である。
この岬は函館の観光名所としても名高いが、地元では自殺の名所としてのほうが知名度が高い。
この岬に行くには、函館山に入る必要がある。
山道を登っていくと「立待岬」の看板が見えてくる。そこからは車を降りて遊歩道を歩いてい。片側の山の斜面は墓地となっており、この墓はあの石川啄木家の墓といわれている。
立待岬は現在かなり大きな柵に覆われ、岬の先端に出ることは出来ない。また、夜間には完全に閉鎖されてしまい、故意に侵入しようとしない限り、この岬には近づけなくなっている。
このような厳重な管理が行われはじめたのは、この岬の周辺であまりにも多くの自殺者が出たためだ。
その数は完全には把握しきれないものの、実際の事件として報道されたのは2002の母子心中事件だ。
この事件は、函館市内の自動車セールスマンが借金を苦に首吊り自殺をした。そのご、その夫の後を追うように、奥さんと子供が立待岬で飛び降り心中をしたというもの。この噂はたちまち地元住民の間にひろまった。
そして、同じ年に今度はある男性が車ごと崖から飛び降りるという死に方をしている。
また、この岬で複数によるレイプ事件が発生。被害者は裸のまま岬に置き去りにされるという、なんともむごたらしい事件も起きている。
こうした霊が出没する理由に、この立待岬がある函館山がかつて軍事要塞であったことが考えられる。
函館山は明治時代に軍の敷地となり、要塞としての運用がはじまった。その間、この山に一般人は立ちいることはおろか、写真の撮影、スケッチなどを禁じ、この山にかんする会話すら罰せられたというほどの徹底した情報管理を敷いたという。
その後、この函館山は第二次世界大戦で日本が負けるまで秘密の要塞として機能しつづけ、要塞のなかでは恐ろしい人体実験や、密かに連れてこられた敵軍兵士の拷問ななどが行われていたと噂されたのだ。
この時、立待岬は函館の港の先を通りかかる異国船の監視場所であったとされている。
その他にも、この岬の周辺には数々の噂が流れている。
立待岬の下にある海水浴場は現在閉鎖されているが、その理由はあまりに泳いでいる時に足を引かれたり 謎の落石が多いことが原因だといわれている。立待岬で記念撮影をすると、函館山で死んだ元軍人の霊が移り込むともいわれる。
さらに、この岬の近くにある碧血碑にも多くの霊が出没する。
碧血碑は高さはおよそ6m、石は伊豆産の石を使い、東京霊岸島で造られたのち、海路運搬されたものである。
かつての函館戦争(戊辰戦争)の際に亡くなった旧幕府軍の兵士800人を祭っており、その中には新撰組で有名な土方歳三や中島三郎助なども居る。
碧血碑の裏側には「明治辰巳実有此事 立石山上叺表歔志」との文字が刻まれている。これは、「明治2年にあった戦争のため、山上に石を建て、悲しみの気持ちを表します」という意味である。これは、当時の新政府軍がこの碑を建てるのに反対したため、慰霊の文を公に書けなかったせいで、このような曖昧な文が書かれたとされる。
そうした悲しい歴史もあるためか、この碑の近くでは戦争で死んだ兵士の怨霊が出るといった噂が絶えない。
碧血碑の隣に車を止めていると、突然ボンネットに落ち武者風の血まみれの侍の首が落ちてきた。
また、この碑の近くに赤い車が止まっていた。声を掛けてみると、後部座席に老婆が乗っており、その姿が半分透き通っていた。その後、別に人物がその話を聞き碧血碑に行くと、軍服姿で胸に勲章つけた霊2人の姿を見たというものもある。
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