三重県四日市市鵜の森1丁目13−17

鵜森神社

鵜森公園、鵜森神社は浜田城址地で、織田信長の軍勢により攻め滅ぼされ大勢の人が亡くなった場所。
さらに浜田城3代目城主の浜田遠江守元綱は、子供を逃がした後に家臣と共に切腹し、城に火を放つという最後を迎える。
鵜森神社は最初、浜田城の歴代城主を神として祀っていたが新領主の配慮により表向きは神を祀っていると届け出た。
それ以降、いつの間にか合祀という形にして、現在に至っている。
合祀とは言うものの慰霊祭もせず・慰霊碑すらもなく、現在も全く何も供養をしていない。
浜田城の武将達の霊は鵜森神社の境内にある塚にいまだ供養されることなく怨念を抱いていると言われている。