下関市阿弥陀寺町4-1
赤間神宮は、JR下関駅からバスで10分ほどのところにある。源平壇ノ浦の合戦に敗れ、わずか8歳で関門海峡に入水された、安徳天皇が祀られている。しかしここは、平家滅亡の悲劇から数百年後に、ある盲目の僧が亡霊に苦しめられた地でもあった。
大安殿の横から奥へ入る。表の鮮やかさとは対照的に平家滅亡の悲劇を感じさせる陰鬱とした雰囲気へとって変わる。水天宮と呼ばれる供養塔を過ぎると、その先にはずらりといろんな形をした墓が並んでいた。平家一門の墓だ。異様な空気があたりに漂っている。そして、墓の横に平家の亡者に耳をとられた、耳なし芳一の像が静かに姿を見せた・・。
それは平家滅亡から数百年たったころのことだ。赤間ヶ関阿弥陀寺(今の赤間神宮)に、芳一という名の盲目の琵琶法師がいた。芳一の優れた演奏はあまりにも有名だった。ある夜、芳一は、何者かに誘われてどこかの屋敷の大広間に連れていかれた。そこには、武士たちが座っていた。正面の御簾(みす)の中から声がする。「壇ノ浦の合戦を弾奏せよ」。芳一が弾奏すると、厳然としていた武士も婦人も声を出して泣いている。芳一は自分の琵琶に半ば陶酔しつつ、曲を終わったのだった。それから毎夜のごとく呼ばれるようになった。
やがて阿弥陀寺の僧侶が芳一の行動に気づき、あとを付けた。そして僧侶はその姿を見て驚いた。
芳一は、真っ暗闇の中、墓の前に単座して琵琶を弾いていた。その形相はこの世のものとは思えぬもので、あたり一面は鬼火が揺れていた。僧侶はすぐさま芳一を連れ帰り、阿弥陀寺の和尚に伝えると、和尚が言った。
「これは平家の亡霊だ。芳一、呼ばれても返事をするでないぞ」
そして、芳一の身体中に経文を書きつづり、亡者から逃れられるようにしたのだ。
その夜のこと、芳一が座っているところへ、生ぬるい風が吹き、足音がやってきてピタリと止まった。足音の主は、「芳一〜」と呼びかける。芳一は和尚の言う通り黙っていた。すると亡者はこう言ったのだ。
「今宵は声も、返事もない。姿すら見えぬ。せめてこれだけは持って帰ろう」。そして、氷のような冷たい手先が、芳一の耳を無残にも引きちぎって去って行った。和尚は耳にだけ経文を書き忘れていたのだ。
芳一堂の中の芳一の石像には、耳がない。現在もこのお堂の周りには、平家の怨霊がさまよい寄ってくるという話が絶えない。
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地図の場所がぜんぜん違うぞ。