広島県東広島市鏡山2丁目 鏡山公園

鏡山公園

広島県東広島市の鏡山という場所に、鏡山公園と呼ばれる都市公園が存在している。山陽自動車道西条インターチェンジを降りた場所から、車でおよそ15分ほど走ったところにある。公共交通機関を利用するならばJR山陽本線西条駅から広島大学方面行きのバスに乗り込み、およそ15分のところにある鏡山公園前というバス停で下車すれば辿り着くことが可能だ。園内には30種類以上の桜の木がおよそ700本以上植えられており、春先には桜の名所としても親しまれている。周辺に住む人々が散歩や行楽に訪れることもあってか、東広島のシンボル的存在としても有名である。鏡山公園内部には子供達が元気いっぱいに走り回ることが出来るくらい広い遊び場を始め、すべり台やブランコなどのアスレチックも設けられており、昼間のその様子からはこの鏡山公園が心霊スポットとして密かに囁かれているとは想像も出来ない。
 では、そんな鏡山公園に噂される怖い話というのはどういうものなのだろうか。小さな噂はたくさんあるものの、その中でも一番多い意見として目立ったのが、深夜になると男性のものと思われるうめき声のようなものが、どこからともなく聞こえてくるという噂だ。それはハイキングコースの途中にある井戸であったり、神社の近くにある慰霊碑のそばであったりと場所はさまざま報告されている。また、公園内に設置されているブランコが夜に誰もいないはずなのに勝手に動き出すという不思議な現象も報告されている。では、なぜ地域の人々に親しまれる鏡山公園でそのような怖い話が生まれたのだろうか。その答えに近づくには、まず鏡山公園の歴史的背景に注目する必要がある。
 実はこの鏡山公園、ただの公園ではない。厳密に言うと、この鏡山公園が設けられている土地にとある事実が隠されている。現在鏡山公園がある場所には、長禄・�ェ正年間(西暦にして1457年から1466年)に鏡山城という山城が建設された。当時、安芸の国を支配することを目論んでいた周防・長門の大内氏が建設したとされる城で、応仁の乱などの合戦によりとめどなく攻撃を受けたとされる。戦は時代が進んでも終わることはなく、1523年には尼子氏の攻撃を受け、ついには毛利元就の計略にて落城されてしまう。1525年に再度大内氏がこの鏡山城を奪還したが、その防御力のなさに城の必要性を感じなくなったのか、鏡山城よりも頑丈な槌山城を建設し、そちらへ拠点を移動したため、この鏡山城は終焉を迎えることとなった。だが、終焉までに起こった数々の合戦の舞台となり、そこで無数の死者を出したことにかわりはなく、城本体がなくなり公園として整備された後に、徐々に心霊的な噂や怖い話がついて回るようになったのだ。その歴史的背景を決定づけるように、公園の中には慰霊碑を始め神社や崩れた石垣、さらには土塁や竪堀などの遺構が残されている。
 このような史実もあることから、公園内で囁かれている男性のうめき声の正体は、大昔の合戦でなくなった落武者の声ではないかと噂されている。さらには慰霊碑の付近で落武者のような影が無数に蠢いているのを目撃したという話や、お花見に訪れていた女の子が何かに導かれるようにして公園奥の山に入って行方不明になったというような怖い話も存在する。
 実際に肝試しに訪れたというとある若者は、「深夜2時に友達と肝試しに行って、ブランコに乗ってみたりトイレの中で写真をとったりハイキングコースを通って頂上付近を見に行ったんだけど、その時は何も起こらなかった。でも帰り際になってブランコを誰かが漕いでいるような音が響いてきて、怖くなって逃げ帰った」という体験を語っている。
 これらの噂や怖い話達の背景に歴史的事情も絡んでいることもあって、妙に信憑性が増しているというのも事実だ。昔から戦場跡地に幽霊が出るという話は全国各地に存在しているわけであって、「昔合戦があった場所だ」と言われると、誰しもが怖いイメージを抱いてしまう。今回の鏡山公園もその例外ではなく、人々のイメージや先入観から山の頂を吹き抜ける風の音を男性の声と聞き間違えたり、微量の風で揺れるブランコを心霊現象だと誤認した可能性も否定できないだろう。だが、全てが全て先入観で説明出来るわけではない。蠢く無数の影などの解明できない小さな怖い噂を忘れてはいけないだろう。