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埼玉県所沢市北野2丁目11−18

白旗塚

白旗塚(しろはたづか)とは、埼玉県所沢市北野に所在する古墳跡である。

所沢の畑の中ので、この一角だけが、鬱蒼とした木々に囲まれて昔の面影を残している。
またの名を『小手指ヶ原古戦場跡』と言い、今から約700年前の西暦1333年5月8日、鎌倉幕府を倒すために、新田義貞軍は、現在の群馬県新田郡を出発し、3日後の11日にこの場所で幕府軍と戦ったとされている。
この『白旗塚』という名前は、新田義貞が源氏の白旗を挙げた為とされており、幕府軍との歴史的戦闘を行った神聖な場所である。そのため、「この塚に登ると災いを招く」と云われている。

このような伝説により、この場所では度々心霊現象などの噂が聞こえる事がある。

例えば、この塚周辺では「心霊写真がよく撮れる」といった情報や、また付近では鎧を身に着けた武者が歩くかのような音が聞こえてくるとも言う。

古戦場ならではの霊現象といばそれまでなのだが、にしても不気味に思えてならない。なお、この時の合戦の痕跡を、様々な場所で見る事が出来る。

白旗塚の上に石碑があり、そこには以下の内容が刻まれている。

「古武将の御魂祭れりこの塚を護り通せと先祖より受此の塚を壊せし者は忽ちに霊魔を受けて死するやもあり武蔵野の小手指ヶ原古戦場月の光は変わらざりけり」

つまり、「この塚には古武将の霊が祀られている。もしもこの塚を壊す人間がいれば、呪い殺すこともある」というのだ。
なんと物騒な石碑であろうか。ここまでオドロオドロしい文面が書かれた石碑は、日本中探しても恐らくここぐらいなものだろう。

また、他にもこの様な文章が白旗塚にはある。
これも塚の周辺にあり、白塗りの木の札に『塚を荒らさないでください』と、こんどは丁寧な口調でかかれている。
これはどう読んでも、ただの注意書きだ。
恐らく、かつてはこの塚を荒らす物もいたのであろう。
この場所の下は古墳であるとも言われている。頂上には「白旗塚 浅間神社」と彫られた古い碑があり、富士塚としても扱われていたことが分かる。
さらに、近くにある旗塚遺跡には、旧石器時代から縄文時代にわたって人が住んでいたと思われており、ここでは、旧石器時代の石器が4、縄文時代の住居22、土坑71などが発見され、今でも、畑の土壌の上に土器の破片が散乱している。

うした古墳の遺跡がかつて盗掘されていた事を考えれば、同じ様な古墳である白旗塚もその憂き目にあうと心配した源氏の子孫たちが、先祖の霊が眠るこの古戦場を守るためにこうした石碑を残したのかもしれない。

しかし、立て札のほうはどうやらふいんきが違うので、近隣の子供達のイタズラ除けなのかもしれない。

白旗塚のすぐそばには「北野中学習農園」なる畑があり、恐らく中学校の敷地だと思われる。近隣に中学校があり、その敷地も隣にあるとすれば、この塚で遊んだり悪戯をする子供が2,3人いたとしても可笑しくは無いだろう。

しかし、源氏の遺跡はどこも大抵に執念深い怨念や怨霊やらが現れると昔からいわれており、それらを信仰している人々もまだ多い。ここで子供が祟られでもしたら一大事という親切心による注意書きかもしれない。

また、この場所のふいんきそのものが心霊スポットというよりは、何か神々しい雰囲気がある。地元民にとっても、ここに霊が出るという認識はまったく無いのだろう、近隣には住宅があり、この場所を恐れているわけでもなく、むしろ神聖な場所であると認知されている。