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神奈川県足柄下郡箱根町元箱根 箱根山

箱根山 (新宿区)

【箱根山 (新宿区)】

箱根山(はこねやま)は、東京都新宿区戸山二丁目にある、山手線内にて一番標高が高い人造の山(築山)である。山頂にある水準点の標高は44.6mである。ふもとから登りはじめて、約5分程度で登頂することができる。戸山公園内にあり、付近住民の憩いの場所である。

しかし、この箱根山には恐ろしい史実が残っている。

明治6(1873)年、明治政府はこの地に陸軍戸山学校を開設。剣術や軍楽の訓練を行う場所となった。

現在、箱根山にある教会にはその面影が残っており、土台部分の堅牢な石組みの土台は、旧軍時代の士官集会所跡である。

そして昭和4(1929)年、当時の麹町区にあった陸軍軍医学校が戸山に移転。そして、昭和7(1932)年、陸軍軍医学校防疫部の下に、ある部署が新設された。その部署の名は防疫研究室。そこを統括した軍医の名は、石井四郎。あの、731部隊の初代隊長である。

731部隊(ななさんいちぶたい)は、第二次世界大戦期の大日本帝国陸軍に存在した研究機関のひとつ。正式名称は関東軍防疫給水部本部で、731部隊の名は、その秘匿名称(通称号)である満州第七三一部隊の略とされている。

 731部隊はあ6キロ四方の広大な軍事施設の中で、ありとあらゆる人体実験を行なっていたとされる。その実験材料のために捕らえられた人々は「マルタ」と呼ばれ、特別監獄に隔離されていた。
日本軍の憲兵によって捕らえられた抗日組織の人々が、特別移送扱い
して731部隊に送られ「マルタ」とされた。なんら裁きをうけないまま、(731部隊の)実験材料として死刑を宣告されたのである。
 その中に抗日組織とは無関係な住民や赤ん坊まで含まれていた。
この人体実験のために犠牲となった人は3000名を超えたといわれる。

この恐るべき部隊の本拠地があったとされるのがこの箱根山。敗戦後は当然の如く旧軍施設は取り壊され、公園や住宅として整備されていった。

だが、平成元(1989)年、公園の隣接地で建設工事を行う中、大量の人骨が出土した。。

その数は、頭蓋骨だけで62柱、おそらく総数は100以上。死後数十年以上100年未満のもので、モンゴロイド系の複数の人種が混在し、人骨にはドリルやノコギリ・切創・刺創・銃創などの人為的な傷が多数付けられていたことから、こ731部隊の人体実験の犠牲者であると目されています。

さらに、その建設工事は品川区にあった厚生省の予防衛生研究所が移転する庁舎を建てる為のもの。
予研の初代所長が731部隊出身であることから、旧軍の暗部との繋がりもあったのだろう。

その後、戸山に移転した予研はその名を『国立感染症研究所』と改め、現在に至っている。 だが、国立感染症研究所内でも、様々な心霊現象が目撃されている。

また、箱根山で幽霊の目撃談が相次ぎはじめたのも、人骨が出土した後とされており、そのウワサはバブル崩壊と共に拡散していったとされる。

ちなみに、戦後石井はGHQと交渉し、部隊の全データ提供と引替えに731部隊関係者の戦犯免責を成功させた。
その後、同部隊の隊員立ちが各省へと入省していくなか、一人表舞台から姿を消し、新宿区内で医院を開業した、当時は戦後まもなく、医療技術も不足しドヤ街となっていた新宿で、近隣の住民が怪我や病気になると無償で診察、治療を行っていた。
その行為は、日本のマッドサイエンティストが自分の行いを悔いた結果なのか。無償の医療提供に尽力した後、晩年にはキリスト教に入信したとされている。

もしかすれば、この箱根山にあるキリスト教会を立てたのも、この地にねむる死者の供養をするために石井が行った事かもしれない。