東京都八王子市高月町 滝山城本丸

滝山城

【滝山城】

滝山城(たきやまじょう)は、現在の東京都八王子市丹木町にある史跡である。

多摩川と秋川の合流地点近くに、自然豊かな雑木林に覆われた都立滝山公園。
この一角にあるのが、滝山城跡である。

この城は、戦国時代に活躍した小田原北条氏一族が居城していたことで知られており、周辺の丘一帯には滝山城址の遺構が残っている。

この城で激しい戦が行われたのは、永禄12(1569)年。
甲斐の武田信玄が小田原攻略の途中に、2万の兵で本城を囲み、二の丸まで攻め寄せるほどの猛攻を加えたのである。
しかし、城主であった北条氏照を中心に城方は徹底的な防衛戦を展開。ついにかの武田による攻城戦を勝ち抜き、落城をまぬがれたという。
しかしこの戦闘の後、氏照は武田に備える戦略上の利点から八王子城を築き、天正12〜15(1584〜87)年ころに、その居を移したとされている。

こうした歴史を振り返ってみても、なぜかこの城には恐ろしい歴史は残っていない。むしろ、この城主だった氏照が移った八王子城にこそ、悲惨な歴史が残っている。

八王子城は後の小田原征伐の際、豊臣秀吉の軍勢のエリート集団『上杉景勝』『前田利家』『真田昌幸』らの部隊1万5千の軍勢にかこまれた。この時、八王子城の兵士は小田原城にかけつけていたため兵士は少なく、殆どが付近から非難してきた農民や婦女子たちであった。

上杉・前田・真田という圧倒的軍勢に囲まれた八王子城のはその後、あっけなく陥落した。しかし、通常城が落ちれば非戦闘員に手出しはしない所を、豊臣軍はいっせいに生き残った市民達の虐殺を始めたのである。

これは、八王子の城主が籠っていた小田原城がなかなか落とせない事にいら立った秀吉による策略のためであり、小田原に居る兵士の親族たちを皆殺しにし、その首を小田原城に持っていくことで、北条方の兵士たちの戦意を喪失させるつもりだったのである。

このため、落城した後の場内はすぐさま地獄と化した。城になだれ込んだ兵士は手あたりしだいに人々を殺しはじめた、それを見た氏照の家臣達は自刃するも、それでも殺戮はやまず、城の至る場所で一方的な殺害と、錯乱した人々による狂気的な自殺が相次いだ。結果、周囲は地の海とかし、場内にある御主殿の滝は三日三晩地の色に染まったといわれる。

そうした悲惨な歴史がある八王子城址にゆかりのある滝山城であることから、それらの霊がここにも出るかもしれない。滝山城では自殺者が多く出るとされ、この城跡のどこかに、常に花などの供え物が置かれている場所があるといわれている。

しかし、ここは心霊スポットであると同時に、桜の名所としても有名だ。

かつて、この付近の丘陵地帯には修験道の文化もあったことから、奈良の吉野山になぞらえて昭和46年に住民と行政の手によって桜が植えられている。

その数はおよそ5,000本もあり、桜(ソメイヨシノ、ヤマザクラなど)を植樹し、長い年月を経て都内有数の桜の名所地たのである。

そのため、春になれば多くの花見客が訪れる事で知られており、若ものから老人まで、多くの人々が城跡に咲く美しい桜の天幕に酔いしれる。

また、近年ではゴールデンウィーグに咲くヤマツツジなどの観賞がブームとなっている他、公園内の広場で休日をすごす家族も増えているとされる。

このような場所であることから、心霊スポットとしての価値はやはり低いものの、観光地としては大変有意義な時をすごせると思われる。春先に桜の花をめでながら、幽霊談義などをするのも良いかもしれない。