もう一度観てみると、それでもいくつか魅力的な点がわかる。主人公役の天海祐希の演技がいいのは、前回観たときも感じたことだけど、やっぱりすごくいい。最初は冴えないおばさんだったのが、次第に美しくなって、表情豊かに、激しい感情をあらわにしていく様子は、いかに彼女が抑圧されていたのか、ということを如実に表現していると思う。
男女の差別や狗神筋への差別など閉鎖社会の因習に加えて、近親相姦などといった要素もあってどうしても雑多な雰囲気を拭えないのだが、なかでも目をひくのがこの社会の「男尊女卑」っぷり。女は結婚したら自由に出かけることも出来ず、大事な集まりにも出席出来ず、意見も聞かれず、生活に少しの楽しみも見出せない。それゆえ女同士の嫉妬や詮索はますます勢いづき、その抑圧の捌け口として狗神筋が選ばれることになる。
このような社会が、少しまえまでは各地にあった、と言うかむしろどこにでもあったことを考えると恐ろしい。しかも、この構図ははっきりと示されることはなくなっても、やはりいまでもワタシたちの社会にしっかり根付いているではないか。
ここで描かれる社会というのは、日本の社会の根っこにあるものなのだ。
この映画には、原作とは違い「ぬえ」の存在は語られるだけで登場はしない。しかも、語られるといっても狗神筋の起源としてさらっと一言出てくるだけなので、そのへん期待しているとがっかりするだろう。
どうせ「ぬえ」を登場させないのであれば、やはりその「男女差別」の部分をじっくり描いてほしかったと思う。
途中、主人公の兄にあたる隆直が、「ここだけは水が淀んでいる」というシーンでは、女を抑圧して溜飲をさげていたはずの男たちもが、この狭い村のなかでなんらかの抑圧を感じていたことが仄めかされているが、あの場面はではすごく重要な場面なのでもうちょっとじっくり描いてほしかった。
死産のシーン、姪っ子のお風呂あがりシーン(女の子の裸が嫌いなわけでは決してないが時間的に無駄)などはさくっと切ってよかったのではないだろうか。その代わりに、主人公がどんなに憎んでも離れられなかったその山の美しさや、主人公と晃の、惹かれ合っていく様子や、抑圧されるひとびとと最後のカタストロフィーをじっくりじっくり描いてほしかった(あと問題の濡れ場は悪くないけど導入が唐突過ぎる感が。互いに惹かれ合った二人がどうしようもなく……というのが萌えです)。