終始「 マ ジ で ? ! 」
とモニター前で身悶えながら観ました。
何を思って大友があんな大幅改変をするに至ったのか本当に分かりません。
何より許し難かったのが、蟲の存在を『人に害を及ぼす恐ろしいもの』でしかないかの様に描いとことですよ、もうね、これだけは譲れない。
原作蟲師の素晴らしい処は、蟲も人もあらゆる動植物も全てが等価に描かれていることだと思うんです。
全てが在るように在るだけなんですよ。
全てが在るように在るだけで、それが時に人や動物に『害』とも云える様な影響を及ぼすことがあっても、憎むでも闇雲に畏れるでも無く両者が共存して行く道を探して蟲と人を繋いでいく存在が蟲師である。と、飴は解釈して居るのですが、それがさ!アレはどうなのよ!
原作がある映画とはいえ、見る人全てが蟲師の原作を読んでいる筈ものないのでこれってもう原作の有り様に物凄い誤解されそうじゃないですか!それがね、もう堪らなく切ないんですよ。冗談じゃねぇよ!
細かい設定の改変もかなり気になりました。
話し言葉とかね、あの時代がかった話し方に「うえ!」と。
蟲師の世界観無視かよ!どの時代にも属していない感じとか何処行った!
感情を偸閑に表に出さないギンコが動揺したり慌てたりね………ああもう泣きそうです。
原作好きだって云っていたオダジョーはテンションダダ下がりだったろうなぁ……とか思ってしまうよ、アレは。
細かい演技に関しては敢えて触れませんがそれもかなり……なんつーか。アレだ。
ぬいの位置づけに対しても憤懣遣る方無いです。
「ええ!!?」です。
ぬい絡みの原作の話の美しい余韻をどうしてくれる!
あの映画で大友は一体何がしたかったんでしょうね?
一応飴もアキラとかショートピースとか大好きなクチなのでそこもかなり切ないポイントだったんですが、ああもう、本当に切ないよこれ。