口を利けないキリコ(満島ひかり)と弟大悟(渋谷武尊)、二人の父の絵本作家(香川照之)が中心となるが、タイトルのように、常にうさぎが登場する。ぬいぐるみのうさぎから、人間と等身大のうさぎまでが、いろいろなシーンに出てくる。
タイトル前に、学校の校庭にあるウサギ小屋(といっても屋根はない)で、一羽のうさぎが脚から血を流して瀕死の状態にある。大悟がコンクリートのかたまりを振りかぶって、そのうさぎの頭に落とし、とどめをさす。
キリコは同じ学校の図書室の司書として働いており、安楽死とはいえうさぎを殺していじめられっ子になった大悟は、いつもキリコのそばにいる。
ある夜、大悟が起きだして、階段わきの物置に入ると、大きなうさぎにとらわれ、そのうち大きな遊園地についてしまう。
またある日、二人は映画館にいき、3Dのホラー映画を見ているうち、画面に登場してそこを抜け出してこちらに飛んでくるうさぎを、大悟が受け止めたため、何かとうさぎの起こす恐怖につきまとわれるようになる。
中盤から、一応、謎解きめいた話となる。
キリコは精神錯乱を起こしたことになっているし、大悟は実は存在していなかったというセリフもあり、キリコが大悟を殺そうとすると、キリコ自身の背中に、刃が飛び出てくるシ-ンもあり、これを見るかぎり、大悟はキリコの想像物なのであろう。
父親は絵本を書いており、そこに人魚ひめの話が交わり、王子を殺そうと刃物をもった人魚ひめが何回も映るのでと、ラストは父親のくるまっていた毛布から大悟が現れることもあり、別次元では、キリコはどこかに行ったか、病院にでも隔離されているかで、この二人のそばにはいないということになる。
こうした映画は、あまり理屈づめで観ると、不合理になるわけだから、それ以上の追及はしないほうがいいだろう。しかし、ストーリーであるからには、最低限の柱になる筋は一本通しておくべきで、あまりにも支離滅裂だと、ファンタジーどころか、単純にできそこないとうレッテルを貼られるだけに終わる。
そしてこの映画はまさにそのできそこないで、俳優もワケのわからないまま演じることとなり、仕事とはいえ気の毒な気がする。
かつての不条理演劇・不条理映画にも、不条理ならではの条理はあった。
怖くもないし、脈絡もないのでは、作品とさえ呼べない。
おまけに、エンドロールで、お決まりの、若い女の歌手の歌が流れる。内容に全く沿っていない。
この監督が、単なる自己満足映画を作っただけのことだ。
これがジャパニーズホラーの一翼を担っている監督なのか。
満島ひかりも、庶民的でかわいらしい顔をしているが、ホラーならホラー、サスペンスならサスペンスで、もうちょっとまともな役を演じさせたい。作品には恵まれていないと思う。
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