傑作「CURE」はもちろんのこと、テレビシリーズ「学校の怪談」などホラー映画の分野で才能を遺憾なく発揮した黒沢清監督の作品。「リング」をきっかけにはじまったJホラー・ブーム(バブルといってもよいか?)の真っ只中、「呪怨」、「感染」、「予言」といった「二次熟語タイトルホラー」が連発されていた時期にJホラー界の重鎮の作品として発表されたこの作品だが、実はこれがホラー映画の意匠を借りた紛れもない青春映画の傑作。
当時、普及しつつあったインターネットというメディアを取り上げ、ネット上に存在する死者の恐怖はもとより、最終的には人類滅亡の危機という大きなスケールの恐怖まで描ききり、全編に流れる不穏で殺伐とした雰囲気や恐怖描写には非常に高い達成度がある。しかし、実はこの作品のストーリーを動かすエンジンは、うら若き男女が出会う「ボーイ・ミーツ・ガール」物という恋愛・青春映画のそれである。というのも、映画は終盤近くまで、接点のない男女のそれぞれが、ひとつの災厄のなかでどのように行動するかをカットバックで描き、旅客機が市街地に突っ込むという正に滅亡のヴィジョンをひとつの契機として主人公たちは出会うのである。
物語の構造は二人の男女が出会い、そしてそののち、どのような発展を遂げるか、というところに力点があり、アドレッセンスにありがちな「誰にもわかってもらえない私は死者と同じではないか」「何事にも無気力な私は死者と同じではないか」そして「これからどのような人生を歩んでいくのか(生きている実感もないのに)」という青臭いテーマが不安感に巧妙に恐怖感をミックスすることで見事に表現されている。そして、終盤、主人公のひとりである青年は死の間近に控えてやっと生の実感をつかむのである。
他人、つまり社会との関わりを実感できずに、確固たる自我も確立できずにいる男女のもがきをそのままホラー映画として消化/昇華されているという意味では稀有なホラー/青春映画の傑作である。
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