メディアを通してしか現実を捉えることが出来ない少年・ベニー。もちろん、メディアを通した現実が現実としてのリアリティを持っているはずもない。豚が屠殺される様子を映したビデオを繰り返し見続けているベニーは、ある日、街で出会った見知らぬ少女を、豚と同じようにスタンガンで殺してしまう。そして、その様子を収めたビデオを鑑賞する…。
と、この作品が作られたのは1992年で、インターネットが広く普及する前のこと。それ故、若干テーマは古くも感じられる。今だったら、メディアを語る際にインターネットは避けて通れないから。
が、この映画がすごいのは、生のリアリティを感じられない現代っ子・ベニーを描いているだけではなく、ベニーが殺人を犯したことを知った両親の対応も描かれているところ。
メディアが発展したことで、リアリティが希薄になったというメディア害悪論は散々言われ尽くしてきたけれど、この映画では、ベニーが殺人を通して「死」や「生」をリアルに感じられるかもしれない機会を、両親が奪ってしまっている。ベニーが少女を殺し、戸棚に死体を隠していることを知った両親は、ベニーを旅行に連れ出し、ベニーが旅行に行っている間に、死体をきれいサッパリ片付けてしまう。
最後のベニーの行動をどう解釈するか、意見が分かれるところかもしれないが、親と子の完全なディスコミュニケーションは、メディア批判というよりも、人間と人間が関係していく中で生や死という問題を回避してしまう弱さ、うわべだけを取り繕って、美しいものだけを見ようとする弱さを批判しているように思える。
コメントをするには会員登録が必要です