ハネケ自身が「ファニー・ゲーム」をセルフ・リメイクした「ファニーゲーム U.S.A」。
オリジナルはまだ見ていませんが、予想通りの不快感。
予想通りの後味の悪さ。
この映画にはご都合主義的なヒーローなど登場しない。
大人以上に機転を利かせて活躍する子どもなんていやしないし、飼い主のピンチを助けてくれる愛犬もいない。
両手首を拘束された主人公が、悪人の隙を狙って武器を奪い、反撃を開始するなんてこともない。
壊れたと思った携帯が復帰するなんてこともないし、巧妙に張られた伏線でどんでん返しを引き起こしたりもしない。
悔悟の念や夫婦の愛情が奇跡を起こすこともない。
暴力はただただ暴力としてそこに存在し、何も救いなど与えられはしない。
暴力とは本来的に不快なもので、この映画はその不快を描いているのだ。
暴力は快楽になどなり得ない、娯楽などではない、暴力を娯楽として描いている映画は、
現実とはとうてい触れ合うことのない虚構である、この映画はそう訴えているように思える。
理由もなく富裕な家族を襲い殺していく青年は、時折じっとカメラを見据え、観客に話しかけてくる。
「皆さん、これで満足ですか?」
この稀有な手法は、現実と虚構の境目を曖昧にする。
映画とは現実を再構成できるものなのか、映画における現実とは何なのか、物語の末尾で「映画における現実と虚構」に関する議論があった。
おそらくこの映画の主題はあのシーンに凝縮されているのだろう。
間違いない傑作。
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