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変態村 日常の中に潜む不安定さ

「変態村」という邦題のインパクトに目を奪われがちですが、原題はCalvaire=殉教。

やはり原題の方が作品のテーマに合っていると思います。

うっかり人里離れた宿屋に迷い込んでしまったマルク(男)。宿屋の主人は、家出した妻・グロリエと混同し、マルクの髪を刈り、女装させ、監禁する。

この映画はホラー映画に分類されるが、何よりも恐ろしいのが、この映画の描く狂気が、「変態」というような外部の存在ではなく、正常な人間の中にも必ずあり得るものだということ。

愛の対象への偏執的な欲望は、正常な判断さえも誤らせてしまう。

アメリカン・ホラーに多いモンスターパニックものは、最初から日常から乖離していることが前提。

だから、「あり得なさ」が笑いを生み出す。

でも、「変態村」は派手なシーンはないし、流血量も微々たるものだけれども、すぐそこにあり得るという薄ら寒さを感じさせてくれる。

マルクは性別も名前も違うグロリアに間違えられる。

村人たちにやっと助けられるかと思うと、村人もまたマルクを「グロリア」と呼ぶ。

しかし、底なし沼にはまった村人に「グロリア、愛しているといってくれ」と言われ、マルクは言われたようにする。

自分がマルクであること、自分が男であることを証明したいと願ってきたマルクは、

結局それを放棄してしまうのだ。

自分が自分であることなど、証明できないし、確かなものでもない。

その日常の中に潜む不安定さが、この映画の恐怖だ。

派手なホラー映画が見たい人には向かないでしょう。

でも、見終わった後にじわじわと来る恐怖感を味わってみたい方にはぜひ!