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悪の教典 もしも、デッド・バンディが高校教師だったら

「もしも、デッド・バンディが高校教師だったら」。皆大好き“もしデッド”こと悪の教典。

もしかしたら、蓮実のように教師は心の底から生徒のことを考えないで、人気取りや立ち回りでイス(権力)取りゲームに勝利するのが正しいのかもしれませんね(厳密に言えば考えているけど、生死は厭わないなど、優先順位に“人としての部分”を排除している)。もしかしたらそれは教師にも共通するかもしれません。脅威の有能さで機械的な行動で仕事を処理する蓮実ですら、殺人(時限式で不確かなものも含め)という非人道的な判断を下さないと解決できない問題が山積しています。何これ教師無理ゲー。モンスターペアレントとか、虐待で生徒の精神がすさんでいる場合とか家庭が絡むと教師単体では殺さない限り解決できないよ。

体罰の恐怖で生徒を制圧する全体主義(ファイズム)的発想よりも、最終手段としては、生徒を排除することも視野に入れつつ(非情非人道的な手段をとる)、多様な判断で解決不可能と思われている問題を解決する能力のほうがマシ!優秀!GTO!となるのが今のご時勢ですか?無理ゲーな教師という職業は後先考えてばれないように暴力を使うべきなんですか。それが優秀になるんですか?ボウリングのたまでドラえもんパンチが正解ですか?

教師という職業を無理ゲーにしたままだと、共感する能力を意図的に排除することが、教師が生き残るための術になります。今の世の中では、どう考えても、教育の現場にサイコパスは求められる人材です。本当にありがとうございます。