ドッペルゲンガー 人間の二面性を描く

ある日突然、普段自分の意識下にムリヤリ押し込めている欲望の部分がドッペルゲンガーとして現れるんですけど、となるとどうしても「妄想オチだったらイヤだな…」っていう不安が湧くじゃないですか。でもどうもそうじゃないんですよ。実体があって、自分以外の他人にも見えるし触れるし会話もするし。っていう、設定がまずおもしろいですし、ドッペルの発現条件とかが曖昧なところは若干引っ掛かるんですけど、でもストーリー上そこは重要じゃないので、削ったのは正解だったと思います。

「見たら死ぬ」と言われるドッペルゲンガーだけど、果たして死ぬのはどっちなのか。本体なのか。ドッペルなのか。どっちかが死んだら再統合・再構築された自分に戻るのか。どっちでもいいんじゃないのか。どっちも“自分”なんだから… という観客の推測の幅を残したことが後半の展開にものすごく生きてると思うんです。

轢かれたあとに登場する役所広司はドッペルの方(だと思う)なんですけど、ラストでドッペルは元々の本体の方の意志を尊重するんですよ。つまり本人の欲求でもあるんだと思うんですけど。そこが結構「俺は俺の中のお前を受け入れてる。だからお前もお前の中の俺を受け入れろ。そうすれば一つに戻る」みたいなセリフとも絡んでるし、うまいなあと思いました。結果的に物語が一見キレイな方向に収束していくし。

あとはユースケ・サンタマリアと柄本明にもドッペルゲンガーがいたんじゃないかなって思わせる感じもよかったです。