のっぺらぼうとは、顔に目や鼻・口のついていない化け物のことだ。
顔以外は普通の人間と同じ姿をしている。
地域によって、頭髪はあったりなかったりさまざまで、主に男の姿をしている。
女の姿をしている場合は、男ののっぺらぼうと同様に目と鼻がなく、お歯黒を塗った口をパカッと開けて薄気味悪くニタニタ笑っていると言われる。
人を驚かせて喜ぶいたずら好きの妖怪で、害を与えることを目的に現れることはまずない。
伝承の中では、のっぺらぼう自体が妖怪というよりは、人を化かすムジナやキツネ、タヌキなどの動物がのっぺらぼうに化けて出ると伝えられているものが多い。
以下は小泉八雲の『怪談』に出てくる、有名な「むじな」の概要である。
江戸は赤坂にある紀伊国坂でのこと。
ある夜、男が坂道を歩いていると、道の端に一人の女がしゃがんでいるのが見えた。近づいてみるとどうやら泣いている様子。
心配になった男は「娘さん、どうかなさったんですか」と声をかけたが、娘はうんともすんとも言わず、俯いてすすり泣いているばかり。
放っておくこともできないので「何があったんです?話してみてください、力になりますよ。」と優しく話しかけた。
すると娘はやっと立ち上がり、顔を撫で上げながら振り向いた。
途端、男の悲鳴が響き渡る。
娘の顔には、目も鼻も口もない。なんにもない、のっぺらぼうだったのだ。
男は持っていた提灯を放り投げて、一目散に坂をのぼって逃げた。
しばらく無我夢中でのぼった先に、小さな蕎麦屋の屋台に灯がともっているのが見えた。慌てて駆け込み、店主に事の顛末を話して聞かせようとするが、息が切れてうまく話せない。
しどろもどろになっていると店主が言う。
「お客さんが出会った”のっぺらぼう”っていうのは、もしかして、こんな顔だったんじゃないですか」
彼もまた、のっぺらぼうだった。
男はそのまま気を失ってしまった。
結局、この一連のことは全て「むじな」のせいだったとしてストーリーは締めくくられている。
古来、坂という場所は、上と下という相違なる空間を結ぶ通路であり、その途中は危険な場所とみなされ神仏が祭られた。
つまり、境界的性質を持つ坂という場所は、神仏や、妖怪などこの世ならざるものの出没する場所として理解されてきたのだ。
「むじな」の舞台となった紀伊国坂も例にもれず、武家屋敷の塀と江戸城の堀に挟まれ薄暗いこの場所は、江戸の人々の間で「むじな」が出ると噂された場所であり、この作品を彩る背景としての意味は大きい。
「むじな」は創作の色が強い物語であるが、実際にのっぺらぼうの伝承は日本各地で伝わっている。
文献として有名なものでは、例えば、その昔、京都の化け物屋敷を舞台にしたものが残っている。
化け物を迎え撃とうと3人の男がその屋敷で待っていると、身の丈7尺(約2~3メートル)もあり、目も鼻も口もないのっぺらぼうの僧が現れたというのだ。
また、同じ京都での目撃談として、ヘチマのような頭をしたのっぺらぼうの化け物が、ものも言わずに這い回ったという逸話がある。
この化け物に掴まれた服には、10本ほどの動物の毛が付着していたという。この他にも大阪や香川で似たような伝承が伝わっている。
のっぺらぼうと似た妖怪で、ぬっぺらぼうというものもいるが、こちらは頭自体がなく顔と胴体の区別がつかないものである。
のっぺらぼうと出会ってなによりも「怖い」と感じる理由は、あるはずの顔が「ない」ことである。何かが「ない」状態というのは人を大変不安にさせるものだ。
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