玉藻前は平安時代に鳥羽上皇からの寵愛を受けた美しい女性のことであるが、その正体は白面金毛九尾の狐と呼ばれる妖怪であるとされている。この白面金毛九尾の狐は実は日本で生まれた妖怪ではない。紀元前11世紀に中国の殷で妲己として現れたのがはじめであり、この妲己も玉藻前と同じように絶世の美女と称され紂王(ちゅうおう)という王様から寵愛を受けることとなる。紂王は妲己の美しさに溺れ妲己の望むことを叶えようと、贅沢をするため人民へ重い税をかけたり妲己を誹謗するものを炮烙の刑(猛火の上に銅製で油を塗った丸太を渡してそれを裸足で渡り切って物は無罪にするという処刑方法)を行い妲己を楽しませたといわれています。紂王は妲己を愛するまではこのようでない若く聡明な王だったが妲己に裏で操られたことにより暴虐の王と化してしまったのです。そんな紂王ですが周に攻められた際に自殺してしまいます。その後、妲己は武王によって首をはねられてしまいます。
それから白面金毛九尾の狐はインドへと場所を変え、耶竭陀(まがた)国の王子である班足(はんぞく)太子の華陽夫人として再び姿を現します。この華陽夫人はまた妲己と同じく班足太子を虜にさせ寵愛をうけることによって千人をも虐殺するという暴虐の限りをつくすようになります。この華陽夫人の最後は太子が庭で狐を見つけ弓で射たことがきっかけです。その次の日華陽夫人は頭の傷が原因で寝込んでしまいます。そこで名医といわれる耆婆(きば)に見てもらうと華陽夫人は妖狐が化けているものだとばれてしまい、姿を現して北の空へと逃げていきました。
そうして次は再び中国へと戻ります。白面金毛九尾の狐の首を落とした武王から12代目の幽王の時代の褒国に褒姒(ほうじ)という美しい女性になって現れます。彼女は褒国が周の怒りを買った際に罰を逃れるための献上品として幽王のもとへ現れます。幽王は前述した王と同じように彼女の美貌に惹かれて寵愛するようになり正室の申后をおしのけて褒姒を后としてしまいます。
この褒姒、見た目は美しいのですが何故か一度も笑いません。そこで幽王は彼女の笑顔が見たいと様々な手を尽くします。そんな褒姒が笑ったのは烽火を誤ってあげてしまったことにより有事でもないのに沢山の人が集まってくるのを見た時でした。それから幽王は有事でもないのに烽火をあげるようになり、本当に反乱が起きた際にいつもの戯れだと思われて烽火をあげたが誰もきてもらえずに亡くなったといわれています。
そんな白面金毛九尾の狐ですが、ついに日本へと現れます。始まりは奈良時代に遣唐使が船で日本に帰る際に船に幼い美少女がこっそりと乗り込んでいたことからです。船旅の途中、おろすわけにもいかないので仕方なく乗せていくと日本についたときにはその少女はどこかへ消えてしまったという伝承が残っており、この少女こそが白面金毛九尾の狐だといわれています。
そんな彼女が再び姿を現すのが平安末期である。彼女は最初は藻女(みずくめ)という名前で育てられたが鳥羽上皇の女官として使えるようになってからは玉藻前という名前に変わり鳥羽上皇から寵愛をうけるようになります。しかし鳥羽上皇は病に伏せるようになりその後、陰陽師によって彼女が原因であることが暴かれ退治されてしまいました。
しかしここで終わりではなく、白面金毛九尾の狐はしぶとく近づいた動物や人を殺す巨大な毒石の殺傷石へと変化してしまいます。この白面金毛九尾の狐は王の陰に隠れ自ら行動こそしないが恐ろしいのはそのしぶとさと様々な国や時代の王たちを虜にしてしまう魅力ではないでしょうか。
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