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 血塊(けっかい)とは、1955年(昭和30年)刊行の民俗学研究所編『総合日本民族語彙』によれば「出産時に現れるという想像上の妖怪」であり、いわゆる「産怪(さんかい)」の一種である。産怪とは、日本各地に伝わる妖怪の中で、妊婦が産むと言われるものの総称である。
 血塊は主に、埼玉県や神奈川県、三重県、長野県に伝わる産怪で、外観については血だらけの綿玉のようなものから、舌が二枚有り毛が逆さに生えている、牛に似た顔で毛むくじゃらの姿等の諸説があり、定まったものはない。例えば、埼玉県戸田市では「口や鼻が牛に似ていたり、毛むくじゃらの姿をしていたりする」と言われ、三重県志摩郡では「人面牛身」または「猿面人身」と言われている。
 血塊が表象するものも各地で異なっている。例えば埼玉の浦和では、血塊が生まれた後、家の縁の下に潜り込むと妊婦が殺されてしまう話が伝わっている。そのため、浦和では出産時、縁の下に屏風を巡らせる風習が残っており、これは血塊が縁の下に潜り込むことを阻むためとされている。神奈川県足柄郡では、血塊が生まれるとすぐに炉の自在鈎を登って逃げようとするが、これを逃してしまうと妊婦が死んでしまうと言われている。そのため、自在鈎にしゃもじを括りつけておき、登り始めた血塊を叩き落とすことが行われていたといわれる。先に挙げた三重県志摩郡では、血塊は家の悪口や破産、凶事を触れ回ると言われているが、妊婦の死などについては直接的に言われていない。
 血塊が、江戸後期において開かれた見世物展覧会の一展示物として登場していた、とする文献もある。1929年(昭和4年)刊行の雑誌『グロテスク』二月号である。同号では「古今見世物寄席興業博」が特集されており、そこでは血塊を「…婦人が産むところの因果児として説明しているが、ムジナの子か、マミかササグマなどを捕へて来て欺くいいかげんな事を云って見物人の好奇心に訴えている」等とし、博覧会の主催者側が人為的に作り出したものではないか、と否定的な立場から血塊の存在を疑っている。
 しかし、民俗学者であり動物学者でもあった日野巌(1898~1985)は、幼い頃、実際に血塊を見たとして、自身の著書『動物妖怪譚』にその様子を載せている。曰く、血塊は「子猫位のもので、体は灰白だった。そうして、よく眠っていた。時々客の前で、ミルクを呑むのを見せただけだった。その時に赤と白の舌が二枚あると言って見せていた」と述べている。
 ちなみに歴史を近代以前までに遡れば、血塊という言葉が登場するのは中国明代の医書であり、この言葉は中国から日本に入ってきたものであることがわかる。血塊は医学用語であり、17世紀以降の日本の産科書には「血塊」という言葉が登場している。19世紀になると「血塊を下す」ことが「流産」を示唆するものとして記されている。
 いずれにせよ、産怪の一種である血塊は機微な問題を孕んだ妖怪であると言えよう。医学が発達していない時代、流産や早産などの異常出産により、奇形で生まれたり、腫瘍を持って生まれた赤子は、人の子としては当時、社会的にも捉えられなかったのかもしれない。人でもなければ、動物でもない。血塊は、つまり、妖怪としてのみ、その存在を許されたものだったのであろう。
 なお血塊と同じような産怪の例としては、岡山県に伝わる「オケツ」という妖怪もいる。外観は亀に似ており、背中には蓑毛が生えていると言われる。オケツも血塊と同じように忌諱されてきた。オケツは、生まれるとすぐに床を這い出し、家の軒下や縁の下に逃げ込む。これを阻止し、すぐに殺さないと、妊婦を逆に殺してしまうと言われている。