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海座頭、海和尚、船入道、海入道、海法師などの異名もある、海上に出現する巨大な妖怪。
人をかたどった形態から、おぼろな、暗雲のかたまりの不定形まで、さまざまなフォルムがある。従って、固有名詞というよりむしろ、動物分類における「科」のように、妖怪を類別する上での大きなグループの一つと考えるべきだろう。
「閑窓百話」には、和泉国の例として、「総身が黒く、漆のごとく、半身を海上に現わした、人のかたちに似る」とあるが、「顔をば知らず」と記されているので、のっぺら坊のように、その顔貌を見るのはかなわなかったのだろう。これは、歌川国芳 「東海道五十三対 桑名」にも近い海坊主のイメージと言えよう。但し、国芳のカリカチュアでは、二つのドングリ眼が愛嬌を添えている。
水木しげるは、その「日本妖怪大全」や後継の「妖怪画集」にも収めた代表作で、浪間から出現する巨大な黒い影を活写しているが、国芳のフォルムに倣い、更に迫力を加味したイメージの定型と評価できよう。水木の描いた海坊主も、両眼を備えている。
従って、今日、一般に想起される視覚イメージは、この煙烟のマッスの方で、海座頭や、ヨーロッパの海上僧(シー・モンク)とも通底する人型のフォルムではない点は注意したい。むしろ、アカエイやしらみゆうれんといった、海上に現われるという不定形の巨体に、より近しい関連が見出せると思われる。蜃気楼現象といった自然現象、クジラやイルカといった海中動物を錯視したとする解釈も、漠然としたフォルムの方が、より妥当性を持つだろう。
「齊諧俗談」巻五では、「スッポンの身体に人面、頭髮は無く、巨大なものは5、6尺に及ぶ」とあり、漁師が捕獲しようとすると、手を合わせて命乞いをしたので、漁の邪魔をしないように約束させて、救けてやったという。禿頭という点では海座頭にも通じ、人間との意志の疎通がかなう点では、河童とも関係しよう。
語りかけてくるタイプは、「雨窓閑話」にも見える。舟を漕ぎ出すのがタブーとされる期間に、船頭が海に出たところ、海坊主が現われて「恐ろしいか」と問いかけて来る。「世渡りの方が恐ろしい」と答えると、海坊主は消える。
このバリエーションでは、人に同様の問いを投げかけて、怖がると、「月末に船を出すな」と諫言して消えるという、海座頭という妖怪も知られている。
また、「海島逸志」が説く海和尚は、耳まで裂けた大きな口で、人間に対して、呵々大笑して消える妖怪で、この妖怪が現われると必ず暴風雨に襲われたと伝わっているから、海洋のタブーとも関連したのであろう。
更に、一切言葉を発してはならない例として、船入道がある。「本朝語園」によると、この海坊主は「身体は六、七尺、目鼻手足もな」く、人間が何か反応を示すやいなや、船を沈められるという、恐ろしい妖怪であった。また、大切な船荷を海中に投じると助かるという伝承もある。これらは、人語に反応して,艪を海中に引き込もうとする、不定形のしらみゆうれんにも似ている。
関連の伝承を紹介すれば、「筑前国続風土記」などによると、子供の夜泣きを止めるのに「むくりこくり、鬼来るぞ」と脅す風習があり、これは元寇の、「蒙古高句麗の鬼が来る」といって怖れたことに由来するという。地方によっては「もっこ来るぞ」という呼び方もあり、更に転じて「むくりこくり鬼」という鬼がいるようにも考えられた。元寇は主体が高麗軍とされ、その残虐行為を指すと解釈されるも、高麗兵の水死体を指すという解釈もあるという。