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蛸、章魚とも表記される海の頭足類について、日本でも幾つかの民間信仰が知られている。
船を転覆させたり、大タコに人が襲われる話は、各地の記録に残っている。
「日本山海名産図会」には、「北国辺の物至て大なり。大抵は、九尺より、一、二丈にしてややもすれば人を巻きて取て食う」と、人を食べる大タコについての記述がある。
また、「大和本草」には、夜な夜な海辺に忍びこんでは牛馬をさらう大ダコが、大蛇をも海中に引きずり込んだという伝説が記されている。
津軽では大ダコが牛を捕獲し、佐渡では馬を捕まえて、乗り回したという。
海外でも、中世の地図などに大タコやイカが描かれているし、実際に巨大な個体は、多く報告されている。
七本足の悪行をするタコの話がある。男が、岩場に棲む大ダコの足を毎日一本ずつ切り、八日目に最後の足だけは切らないでくれとの、大タコの懇願を無視して、足を切ったところ、命を奪われてしまった。
南方熊楠は「十二支考」の中で、ヘビがタコに化ける話に言及している。これも各地に類例が見られる。
越前の例では、山の裾から一匹の蛇が現れ、浜辺を通って海へ泳ぎ出た。蛇が、波に揺られて尾で何回か水面を叩くと、その尾が裂けて脚のように分かれてきた。
その姿は、半身は蛇、半身はタコ。やがて、すっかりタコに変わってしまった。
その後も、何匹もの蛇が山から海に入ったが、すべてが水中でタコに変身したという。
対馬でも、同様の変身譚が伝わっている。
ヘビが、尾を上に伸ばして石に打ち付けている。次第に、尾は潰れて広がり、赤紫の布のようになった。
そこが次第に足に変化し、すっかりタコの姿になって、海中に消えた。
対馬の佐須奈では、ヘビが化けたタコを特にヘビダコと呼ぶという。
また、タコは、竜宮伝説にも登場する。
宮城の竹島の例を紹介しよう。浜の若者が一人ずつ、姿を消す。
気丈な男が、夜、浜辺で月を眺めながら見張っていると、海の方から音曲が流れてきた。
小舟を漕いで近づくと、御殿があり、中には美女がいて料理が並んでいる。
不審に思い、美女を小刀で突いたが、同時に男は気を失ってしまう。
しばらくして気づくと、散乱する白骨の脇に大きなタコが死んでいたという。
播磨には、大ダコが明石の沖から足を伸ばして、陸上の仮殿で静養していた貴妃を悩ませたという伝説もある。
葛飾北斎の有名なあぶな絵「海女とタコ」を想起させる、エロティックな伝承と言えよう。
タコに関する民間信仰で欠かせないのは、日本各地にある蛸薬師だろう。
東京・目黒の蛸薬師は成就院、京都・永福寺の蛸薬師も、いずれも本尊とされている。
「花月草紙」などによると、成就院の蛸薬師は、円仁が眼病平癒のために作ったものという。
円仁が唐から帰朝の折に暴風雨に遭い、その際に薬師像を海に投じて祈ったところ、無事に帰国できた。
その後、諸国巡礼の際に、肥前松浦で投じた薬師像が蛸に乗って顕現し、同じ小像が手元に帰ってきた。これが本尊の由来である。
京都では建長年間、病気の母親に食べさせるためにタコを入手した僧が、許しを得るために如来に祈ると、タコが8巻の経本に変化したという。
京都の蛸薬師は、「都名所図会」に言及があるので、江戸期には既に知られていたのだろう。
「日本朝俗諺志」では、蛸薬師にタコの絵馬を奉納し、物絶ちをして祈るとイボやアザの治療に、不思議な霊験があるとしている。
更に、一般家庭でも蛸地蔵尊が祀られていたと、「京都民俗志」に記述がある。