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ヒルコと読む場合は、イザナギ、イザナミ両神の子。転じて、後代にエビスとも読まれ、広く信仰された。
蛭子命(ヒルコノミコト)は、「古事記」で語られる国産みで、伊耶那岐命(イザナギ)と伊耶那美命(イザナミ)との間に生まれた最初の神。
蛭子は、イザナミの方から男性のイザナギを誘ったために、不具として生まれた。
そこで二神は、蛭子を葦舟に乗せて、海上に流す。この蛭子が漂着したとする、幾つかの神社がある。
兵庫の和田神社では、蛭子大神が淡路島から蛭子の森に漂着し、ここに社が設けられた。
一方、西宮神社では、蛭子の小舟は西宮に到着したとする。更に、エビス(蛭子・夷・恵比須など)神と習合し、エビス信仰が始まったとされる鳴尾から、全国に広がった。
蛭子命に関する文献は、奈良・平安期には見られないという。
エビスは、同じ七福神の大黒天との混淆も見られる福神、商業神、漁業神として、主に信仰される。
しかし、異神の面を残す逸話もあり、これは蛭子命のイメージを払拭できなかったためだろう。
一説に、エビス神の起源は、クジラ崇拝にあるという。クジラは、餌のカツオやイワシの追うことから、収獲の目安になると、エビスと呼ばれ、一種の豊饒神として信仰された。
自然界でも、クジラがカツオの群と共生する性質が指摘されてもいる。
また、海上から寄進をなす、寄り神の観点から、海岸に打ち上げられたクジラを、寄りクジラと呼んで尊んだ。これは正しく、漂着神の蛭子命のイメージである。
但し、寄りクジラを食べると不漁に見舞われるとする地方もある。
このクジラ崇拝の関連から、「和歌藻塩草」にもある風祭りの行事には、エビスの海上守護神の性格さえ窺える。
クジラは内陸でも、水神として迎えられた例があり、これは寄り神が石の形でもたらされる形とも考えられよう。
「古今讃名勝図絵巻」に、高松のエビス社にある石エビスについて書かれている。
漁師が舟で沖に出ると、艪の上に奇妙なな石が載っていた。三度、海中に投げても、三度とも艪の上に戻ってくる。
不思議に思い、祠を設けて石を安置すると、次第に大きくなり、遂には巨岩に変化したという。
また、サメもエビスと呼んで、信仰したようだ。
志摩の磯部明神では、身体に斑点がある4、5間のサメは神の使いと信じられていて、海で溺れた時に救けてくれるとも言われている。
境内にあるクスノキは神木で、この皮を海に投げ入れると、サメに襲われないという。
クジラと同様、サメがカツオなどの群を導く場合は、エビス付きと呼んだ。
崇りをなすエビス神もいた。「梁塵秘抄」の収録歌に荒夷(あらえびす)の名が見えるが、これは攝津広田にある末社だという。
後白河法王の御世では、エビスは福神ではなく、崇り神だったという説もある。
荒夷は、狐と同様、人間に憑依する存在だったとする、研究者もいる。
先の西宮神社の本尊は、かつては恐ろしい表情を浮かべていたとする記録もある。
「新著聞集」に、阿波の和食で、築城のためにエビス社を取り除けたところ、下男にエビスが憑き、大いに荒れ狂った。
エビスの崇りを疑うなら、3日のうちに竹林を枯らすと叫び、はたして竹はすべて枯れたという。
エビスの赭顔(しゃがん)という信仰もあった。エビスの顔が赤く変化すると、天変地異が起きる前兆と恐れた。
「阿州奇事雑話」も、阿波勝浦の蛭子宮の例を引用している。顔が赤くなると凶事が起きると言い伝えがある像を、盜賊が赤く塗ったところ、洪水が村を襲い、盜賊も溺死した。
漁で得た最初の魚をエビスザカナと呼び、神前に供える時に、魚の血を神像に塗ったという話もある。