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日本において、貉(むじな)は古代から人を化かすと信じられて来た。
なお、ムジナは一般にアナグマの異称とされるが、同じイヌ科の肉食哺乳動物であるタヌキとの混同も見られ、貉と狸の呼称が逆の地方もある。
このダブル・イメージについて言えば、佐渡の団三郎という名のムジナの伝承がある。
中山太郎の伝えるところによると、佐渡相川町には、貉の親玉・団三郎を祠った二つ岩の宮が残っていたという。人間に変身して近隣へ出向き、特に僧形に化けて伊勢などにまで遠出したという。ある時、越後からの帰路、当地の狐が団三郎の草履に化けて同道したが、越後と佐渡の沖合で海中に投げ棄てられてしまい、結果、佐渡には狐が生息しないという伝承がある。これは、狸の伝説としても、広く知られている。
貉燈籠の伝説もある。下総の国に住む貉が発心、日ごろの殺生を恥じ、後生を頼むために善光寺に参詣して灯籠を寄進したいと願った。人間に化けた貉が、こっそり講中にまじって善光寺へ来たが、うっかり風呂場で貉の正体を晒して、遁走する。不憫に思った住職が、代わりに一基の灯籠を建立、貉燈籠と呼ばれて、今日に伝わるという。
また、明和年間の記録では、江戸で雷獣が捕獲されるが、これは「貉に似」ていたという。「足の後ろ、熊の手のごとく掌至りて黒く」、眼光は鋭かったと伝えられ、現存種のイタチやテンとのイメージの混淆も指摘しておきたい。
文献上に残る貉は、芥川龍之介「貉」にも引用がある、「日本書紀」推古天皇の御代の「人に化けて、歌を誦す」貉から始まり、江戸期には多くの随筆に報告例がある。
「老嫗茶話」には、寛永年間、姫路城内で侍が七尺あまりの大入道を目撃、刀で斬りつけると、正体は巨大な貉だったとある。
また、「三州綺談」には先の団三郎貉と同様、老人に化け駕籠に乗り、旅を続けていた貉が、犬に咆え立てられた上に、噛み殺されてしまった話が紹介されている。
鳥山石燕は、その「画図百鬼夜行」の続編「今昔画図続百鬼」(安永8年)に「貉」図を収録。民家の囲炉裏端でくつろぐ、手足には剛毛が生えた、頭巾姿の老人に描いている。画家が付した文言に曰く、僧に変じて六時の勤行の後、食後の一睡を貪る姿という。その朴訥とした表情と、人間に化け切れない間抜けさからは、コミカルな性格さえ窺える。太平の江戸時代半ばには、貉は、どこか愛すべきキャラクターに転じていたのだろう。
近代では、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の小説「貉」が有名。本作は、貉を最後に見かけた老人の懐古譚の形式で、赤坂の紀伊国坂が舞台だった。堀端に泣いている女に声をかけると、顔がのっぺら坊。暗闇の中にソバの屋台を見付け、経緯を話すと、振り向いたそば屋の顔も…。
同種の怪談は「宿直草」にも見え、八雲は明治期の流布本「百物語」に依拠という考証がある。「大語圏」には、のっぺら坊をずんべら坊に替えた同様の話が収録されている。
ここに登場するのっぺら坊は、ぬっぺっほふとも表記され、白坊主、お歯黒べったり、アイヌの伝承にあるケナシコルウナルペなどとも同様、人の形を取りながらも、顔がない妖怪である。八雲「貉」でも、そば屋が顔をつるりと撫でる仕種があるように、その顔には何らの凹凸も無く、なめらかな表皮があるだけの、不気味なフォルムで描かれる。
また、「貉」の二段落しの構造は、二度の怪、再度の怪と呼ばれて、明代に集成された古典「捜神記」にアーキタイプが求められる話法である。