鳥山石燕が「今昔画図続百鬼」で描いた怪異。井戸の外に、皿が舞い上がる形をとらえている。
その付記を読むと、有名な、播州の皿屋敷伝説に取材したと判る。皿かぞえは特定の妖怪ではなく、「皿屋敷」の、石燕なりの視覚イメージなのだろう。
「皿屋敷」は、女中のお菊が、家宝の皿に関わる計略に巻き込まれ、非業の死を遂げる。あるいは、割ってしまったことを悔いて、井戸に投身して果てる。その後、井戸から幽霊が出現したり、皿を数える、お菊の悲しい声が聞こえてくる。声は、九枚目までで途切れるのも特徴だ。
この物語は、享保年間に、早くも歌舞伎として「播州錦皿九枚館」が出ている。次いで、寛保に淨瑠璃「播州皿屋敷」が上演され、現在も確認できる台本では、ここで定型が出来上がったと推定される。
「播州皿屋敷」では、御家騒動の謀議を聞いてしまったお菊の命が狙われる。お菊が皿を紛失したと濡衣を著せて斬殺、井戸に遺骸を落とす。すると、幽霊となって、井戸から現れる。
この後、宝暦年間に、馬場文耕による講談「皿屋敷弁疑録」を下敷に、歌舞伎「番町皿屋敷」が出る。幽霊が1枚づつ、皿を数える趣向は、この時に加えられた。
また、お菊が皿を割るのと、井戸に身を投げるのも、本作の工夫と思われる。
もともと、室町時代の「竹叟夜話」に、同様のストーリーが収録されている。ここでは、皿ではなくて、盃を割る設定だった。
「播州皿屋敷実録」と題された戲作には、皿屋敷のディティールが活用されているし、宝暦年間の「西播怪談実記」には、「姫路皿屋敷の事」が収められたともいう。江戸の中頃には、既に広く知られていたことになる。
創作以外にも、江戸の牛込に、似た怪談があったという。
江戸牛込の侍の妻が、家宝の皿の10枚のうち、1枚を取り落として割った妾を責め立て、挙句は幽閉する。
妻が妾を絞め殺して、下男に金を渡して捨てに行かせる。しかし、途中で妾は蘇生。隠し持った金で命乞いするが、男は金を受け取りながら、結局は止めを刺して、野原に棄てる。
その妻は、喉が腫れて瀕死に陥いる。そこへ妾の怨霊が出現し、事の次第を暴露する。
これは、正徳年間の「当世智恵鑑」に収められた随筆だった。
三田村鳶魚は、井戸へ落ちる点だけが足りないだけで、これは正しく「皿屋敷」の怪談だと結論付けている。
他にも、同じ牛込での、バリエーションがある。下女が間違いから、1枚の皿を井戸に落とし、その科(とが)により殺される。その執念が井戸に残って、夜ごとに彼女の声で、九枚まで数えて泣け叫んだ。神社に皿明神を祀ると、怪奇現象はとだえたという。
実は、皿屋敷の伝承は、他の地方でもいろいろと見付かっている。
「本朝故事因縁集」には、正保年間の話として、出雲国の侍が秘蔵していた皿の一枚を下女が割り、怒った武士は下女を井戸に押し込んで殺す。以後、一から九まで数えてから、泣き叫ぶ女の声が響くようになった。そこで知恵者の僧が、合いの手で「十」と云うと、亡霊はそれ以来消滅したという。
土佐国で、名主の家に奉公していた女を、家の男が見初めたが、容易にはなびかなかった、そこで、男は女が仕舞った皿の1枚を隠すと、これを怒った家の主人が女を折檻。耐えられずに、女は滝の中に身を投じる。その怨念が、皿の数を数え始める。
宮城にも、似た話が伝わる。継母が「欠け皿」という名の娘をいじめ、娘は井戸の身を投げてしまう。
この名前は、明治の歌舞伎「紅皿欠皿」に受け継がれているが、怪談ではない。
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