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陰陽師という言葉を聞いたことがあるだろうか。
陰陽師は小説や映画にもなったことがあるので、どこかで一度は耳にしたことがあるのではないだろうか。
何か不思議な力を使い、鬼や妖怪などと戦っているイメージが強いのが陰陽師である。
そもそも、陰陽師とは古代の日本において、陰陽寮に属した官職の一つで、占筮や地相など行うことを職務としていた技術系の官人のことである。
現代の陰陽師は、官人ではなくても祈祷や占術を行うものの総称として使われることが多い。
古代の日本では、天体観測や地相、暦の作成などを主に行っており、祈祷や呪術などは行ってはいなかったのが、現代の陰陽師との違いといえるだろう。
その中でも、安倍晴明と呼ばれる陰陽師は有名である。一条天皇が病に苦しんだときに、晴明が禊を行うとたちまち一条天皇の病は回復したといわれている。
また、干ばつが続いた時には晴明の雨乞いによって雨が降ってきたとされる。
こういったことによって、晴明の力は次第に認められることになり、一条天皇からの信頼を集めるようになった。
陰陽師としての名声を手に入れた晴明は、陰陽道の家としての地位を確立していくようになる。
そんな安倍晴明は、平安時代に生まれ、平安時代に亡くなったとされる。
晴明の母は狐の妖怪である妖弧だったともいわれており、そのため晴明も強力な力を持ったとされている。
晴明は、鬼の一種である式神を自由自在に操り、陰陽道の基本である陰陽五行説を表した五芒星を結界として持ちいることで、京の都を鬼から守る仕事を行ったとされる。
晴明が操る式神を妻が怖がったため、式神を封じ込めていた橋が現在もなお京都に残っている。上京区にある一条戻橋がその橋である。
晴明は京の都だけではなく、国内のさまざまな場所に結界を張るなどし、人々を鬼などから守ってきたとされている。
晴明の逸話も多く残されており、草の葉に術をかけることで葉を式神に変え、その葉を使って蛙を押し潰したという話は有名である。
また、他の陰陽師によって式神を使い呪術をかけられた人を、自分の術で跳ね返し、一晩中呪文を唱えることでその人を守ったという話もある。
こういった晴明の活躍ともいえる話は、平安時代や中世文学である今昔物語集や宇治拾遺物語などに残っており、現代にも語り継がれている。
陰陽師の中でも注目を浴びていた安倍晴明を祀っている神社は多く、各地に存在している。
その中でも大阪市阿倍野区にある安倍晴明神社は、晴明が生まれた場所に建てられたとされている。鬼から守っていたとされる京都にも晴明神社が建てられている。
また岡山県浅口市にも晴明に関するものがある。同県浅口市や笠岡市などに跨る山である。阿部山と呼ばれ、晴明がかつて天体観測を行った場所とされている。
現在でも、山頂付近には安倍神社や晴明が住んでいたとされる晴明屋敷跡が残されている。
陰陽師として一生を終えた晴明の墓は、京都市右京区にある。
国内にある神社を結ぶと五芒星になるところがいくつかある。こういったものは、晴明が行ったような結界であるといえる。
古代日本より私たちには見えない妖のものから、国や人々を守っていた安倍晴明の力は現代でも守られ、語り継がれている。
もし、何かの機会で安倍晴明神社や阿部山など晴明に関係する場所に行くことがあれば、そこで不思議なパワーを感じることができるかもしれない。
死してなお、安倍晴明の力は残されているのだから。