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伝承では、古杣(ふるそま)は、音のみの妖怪。水木しげるは、人型の妖怪に描いている。
古杣という名称は、主に四国に伝わっている。高知や徳島の山間部では、木こりたちが仕事を終えて山を降りた後、夜中に山の方から、木を切るような音や、木をノコギリで挽く音が聞こえ、やがて、大木の倒れる音が響く。夜が明けてから山に入っても、木を切った跡も、倒れた木もどこにもない。
長岡では夜間のみならず、昼間でも、古杣が響くという。特に、木が倒れる音の前に「行くぞ」という声が聞こえるという特徴がある。室戸では、音のみならず、何者かが山小屋を揺することもあった。
これは、水木しげるが、大きな影のようなフォルムでイメージした根拠ともなっている。杣(そま)は木こりの意味で、この妖怪名は、文字通りなら、死んだ木こりとの解釈も成り立つ。実際、土佐の古杣は、倒れてきた大木の下敷きになった木こりの亡霊が起こす音の怪と考えられている。高岡では、かつて盗賊に殺された木こりの霊ともいう。
更に、高知では、木こりが山の中に置き忘れた、伐採に使う工具である墨差しに、魂が宿ることがあったという。これが、古杣の怪音現象を起こすというのだ。この類型だと、墨差しが、死んだ持ち主に代わって、死後に山仕事をしているとの伝承もある。
幡多では、墨差しと墨壷が古杣と変化したと考えられ、吾川になると、墨差し、黒壷の性根に、山中で死んだ、浮かばれない霊が渾然一体になり、古杣を起こすとも言われている
徳島の三好には、次の話が残っている。かつて、ある木こりが親方への当て付けで、仕事を妨げるまじないとして、墨差しを山の中に隠した。そこから木を切る音が聞こえて、大いに怯えたというのだ。
山の中で、正体不明の音が響く現象は、全国にある。
天狗倒しは、英彦山の天狗が起こすと信じられる怪音。古杣と同じく、山中で轟音が響く。
日本三大修験道の山の一つとされる、英彦山で起きることが知られている。長野では、冬に多く起きる現象だったという。
飯能でも、山小屋に泊まっていると、外で木を伐ったり、大木がと倒れる音が頻繁に響く。朝になっても、木は倒れておらず、これを天狗倒しと呼んだという。突風が吹いたような轟音が急に起こることを、天狗が突然降りてくるものとして、天狗倒しと呼ぶこともあった。
国東半島では、タヌキが尻尾で木を叩いて木が倒れる音を起こして人を騙すものを、天狗倒しとよんだ。
福島の飯坂の天狗倒しは、タヌキのほかにキツネの仕業ともいわれ、燃えさしをぶつければ消えるという。
月岡芳年が、錦絵「新形三十六怪撰」の中に、天狗倒しを収録している。
空木(そらき)返しという音の怪異は、鹿児島や大分で伝えられて来た。天狗倒し同様に天狗の仕業とされるほか、キツネやタヌキの仕業とする地方もあり、大分での空木返しはタヌキが後足で石を蹴って人を脅かすものという。
同じ文字遣いながら、読みが異る空木(そらき)倒しも、鹿児島で信じられている。新潟では、空木倒しをムジナによる悪戯と見做し、福島では、深山の幽谷に棲む天狗が起こすものと考えた。
他に、土佐では、杖突(つえつき)という怪音現象があった。
古来から、山には山神が坐すと信じられて来た。古杣などの怪音現を、山神の仕業とする説もある。山梨の八代では、天狗倒しは山の神の仕業としている。
栃木では、山仕事の合間に仮眠をとる前に、あらかじめ起床時間を山の神に願い伝えておくと、その時刻に、山の神が天狗倒しを起こし、目覚めさせてくれるという。