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妖怪手長足長について

◆妖怪手長足長の概要

妖怪手長足長はその名の通り「手足が長い巨人」の妖怪であり全国各地にその逸話が残っている。
同じく手足が長い巨人で「足長手長」という妖怪がいるが別の妖怪である。
しかし、じっさいはかなり混同されている。
Wikipediaでも「別の妖怪」と記載されているにも関わらず福島県に伝わる妖怪「足長手長」の伝説が「手長足長」の伝説にも載せられている。
足長手長の画像を検索してみると手長足長の画像も引っかかる状態でかなり混同されているのが現実である。

手長足長は足長手長とは違い「不老長寿の神仙」としての一面がある。
これは出雲神話に登場する手名稚(てなづち)と足名稚(あしなづち)に由来される。
この手名稚と足名稚は夫婦神であり『古事記』では足名椎命・手名椎命、『日本書紀』では脚摩乳・手摩乳と表記されている。
御所などにその姿を描くことにより、天皇の長寿を祈願したとされている。
手長は「長臂(ながひじ)国」に住み足長は、「長股国」の住民とされており、平安時代の歴史物語の「大鏡」や随筆「枕草子」にも手長足長の記述がされている。
このように神仙としての一面を持つ理由は定かではないが中国から異形人として伝わった際に神仙として当時の人が独自に解釈したのではないかと推測されている。

妖怪としての手長足長には山形県・秋田県の有名な逸話がある。
ここで紹介しする。

◆出羽国(現在の山形県・秋田県)の鳥海山の手長足長伝説

むかし、出羽国の鳥海山に手長足長という二人一組の妖怪がいた。
手長は手が、足長は足が通常の二倍はある妖怪で村の子どもをさらって食べたり、田畑を荒らしたりと悪事を働く妖怪であった。
困った村人は鳥海山の大物忌神(現在の鳥海山大物忌神社)に祈願した。
すると三本足の鳥(カラスという説もある)が遣わされた。
その鳥は山から手長足長が山から降りてくると「うや(有や)」と鳴き山にいる時は「むや(無や)」と鳴いて村人に手長足長の居所を教えてくれるのであった。
村人はその鳥が「うや」と鳴く時は家でじっとして手長足長が去るのを待ち、「むや」と鳴く時は外で畑仕事をすることが出来るようになった。
しかしそれでも手長足長は悪事を働き村人は困り果てていた。
そんな時、慈覚大師が旅の途中に村を訪れた。
大師は村人を助けるために三崎山に不動明王像を置き、百日間祈祷を行った。
祈祷の満願の日に鳥海山は吹き飛び消え去ったとされる。
または消え去らずに慈覚大師に降参し悪事をしなくなったとされる説もある。
鳥海山が吹き飛び、日本海まで飛んでいって島となり「飛鳥」が出来たとされる話もある。
いずれにしろ、この後村人たちは安心して出歩けるようになり、近くにあった関所は「有耶無耶の関」と名付けられたという。

◆長野県に伝わる手長足長

長野県の上諏訪町(現諏訪市)では諏訪明神の家来に手長足長が夫婦神として存在する。
手長足長を祀る「手長神社」「足長神社」が存在する。

◆福井県に伝わる手長足長

福井県安島にも手長足長伝説がある。
安島に最も古くに住んでいた住民は手長足長とされている。
この手長足長は足長が手長を背負い海へ行き、貝の糞を手に乗せ魚がその糞を食べに来たところを捕まえ、漁をしながら暮らしていたとされる。
安島に手長足長が住んでいた時代は千年続き、その後エゾが住み着いたとされる。
そのエゾの時代は二千年続き、若狭から四道将軍が攻め込みエゾを追い払うまで続いた。
そしてその後にやってきたのが現在の安島の人々の先祖であるとされている。

福島県にも手長足長伝説が存在する。
しかしこちらは妖怪「足長手長」の伝説である。