団三郎狸は、新潟佐渡郡相川町に伝わる化け狸の類である。
佐渡では、狸の事を狢(むじな)と呼んでいたこともあり、団三郎狢(だんざぶろうむじな)とも言われる。
香川県にも屋島の禿狸という化け狸がおり、淡路島にも芝右衛門狸と言われる化け狸がおり、そして新潟の団三郎狸も含め、「日本三名狸」と言われているようだ。
団三郎狸は、人々を化かしたりしていた。
人が夜道を歩いているところに壁を作ったり、蜃気楼を作り出し人を化かしたり、木の葉を金に化かせ、買い物もしていたのだそうだ。
そして、病気になれば、人間に化けて医者に見てもらい、自分の住処に蜃気楼で豪華な屋敷を見せ、人を招きいれたりもしたという。
しかし、団三郎狸は、いたずらは好きであったが、お金に困った人にはお金を貸していたという。
そして、そのお金も、人間に化け、自分の手で金山で働き、稼いでいたという。
団三郎狸の住む場所は、相川町下戸村にあったのだが、そこに借用書に金額、返済日、自分の名を記して判を押しておくと、翌日には借用書は消えて、お金がそこに置いてあるのだそうだ。
その団三郎の行いもあり、今では相川町に二つ岩大明神として祀られており、人々に厚く信仰されているのだそうだ。
『団三郎狸の伝説』
佐渡狐の狂言にもあるように、佐渡には狐がいないという。
そして、佐渡に狐がいないのは、団三郎狸が狐を追い払ったからだと言われており、それには2つの伝説があるようだ。
一つ目の伝説=団三郎狸は、狐にあった。そして狐は「佐渡に連れて行ってください」と頼まれたという。
そこで、団三郎狸は、「連れていってもよいが、その姿ではまずいだろう。ワシの草履に化けなさい」と言ったのだ。
狐は言われた通り、草履に化け、団三郎狐は、僧の姿に化け、狐の化けた草履を履き、船に乗ったのだった。
そして、佐渡に渡る船に乗った時に、海の真っ只中で、狐の化けた草履を捨ててしまったのだそうだ。
それ以来、狐は佐渡には渡ろうとは思わなくなったそうだ。
2つ目の伝説=団三郎狐は、狐に合う。狐は、自分の術を自慢するので、団三郎狸は「自分は大名行列に化けることが得意だ、お前を脅かしてやろう」
と言い、姿を消したのだそうだ。
そして、まもなく大名行列がやってきた。狐は、その大名行列の殿様がいるところに姿を現し、「うまく化けやがったな」などと言い、からかった。
ところが、狐はたちまち捕らえられてしまい、その後、斬殺されてしまったのだ。
そう、あの大名行列は、団三郎狸が化けたものではなく、本物の大名行列だったのだ。
団三郎狸は、あらかじめ大名行列が来るのを知っていたため、それを利用し、狐を騙したのだった。
・「団三郎狸が人間と知恵比べして負けたために、人を化かすのをやめた」という伝説があるという。
団三郎狸は、若い農夫を化かすために、若い女に化け。具合が悪いふりをして農夫に近づいた。
それを見た農夫は、心配し、声をかけると、団三郎狸は「お腹が痛くて動けない」と答えた。
農夫は、女を背おって送ろうと思ったが、その時、直感で団三郎狸ではないかと思い、女を縄でしばりつけた。
団三郎は焦った。そんな団三郎に「お前さんが落ちないように」と答えた。
危機を感じ取った団三郎狸は、「降ろしてください!」と必死に頼んだが、農夫は「具合が悪いのになぜ降りようとする?」と農夫はなかなか降ろしてくれないので、団三郎狸は「おしっこがしたいのです」といった。が、しかし、農夫は笑い「あんたのような美しい娘さんのおしっこならぜひみてみたいものだ。そのままワシの背中でしなさい」と言い、降ろす気はないようだ。やがてついたのは農夫の家だった。団三郎狸は「ここは私の家ではありませんが?」と言うと、農夫は「団三郎・・お前の正体はもうわかっている」と言い、団三郎狸はその後、散々懲らしめられたという。それ以来、団三郎狸は、人を化かさなくなったそうだ。
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