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日本を代表する妖怪の一つで、巨人、または巨大な影が山間、里に出現する。この伝承は、日本各地にある。
阿波国で、小川の水車に米などを置いておくと、身長二丈八尺の大入道が現われ、それを搗いておいてくれると言われていた。このように、人の助けになる大入道もいたが、過半は人を恐がらせる存在だった。この阿波の例でも、米を搗く様を見れば、おびやかされると信じられていた。
しかし、大入道が人の命を奪うなど、怨みの感情などとは無縁だったようだ。というのも、キツネやタヌキなどが変身し、人を「化かす」ことが多かったからだ。
岩手の口伝えである「鳥虫木石伝」によると、ある寺で、本堂に怪火が燃え上がって、その影から恐ろしい大入道が現われる。この怪異が続くので、檀家が交代で番をすることになった。何しろ、毎夜のことなので、キツネかタヌキが化けて出るとの評判だった。その後、境内に謎の足跡を発見する。後を追って行くと、薪置場にイタチの巣があった。古いイタチが大入道の正体だったのだ。
また、仙台には、唸り声を発する大岩があり、この岩が、雲をつくような大入道に化けるという伝承もあった。藩主の伊達政宗が、自ら大入道退治に出向くと、ひときわ大きな唸り声と共に、いつもの倍の大きさの妖怪が現われた。
政宗が怯むことなく、入道の足元を弓矢で射ると、断末魔の叫びと共に入道は消えた。
岩のそばには、子牛ほどもある大カワウソがいて、呻いており、入道はこのカワウソが化けたものだった。
「入道」というからには、僧形の大入道ももちろん報告されている。ダイダラボッチ、だいだら法師という妖怪も、名称から、大入道とも深く関連すると考えてよいだろう。
「西播怪談実記」によれば、延宝年間、播磨国の山奧で猟師が、山伏姿の大入道を目撃している。その大入道は、山を跨ぐほどに巨大だった。これは、殺生を戒める山の神の化身であったと噂されたともいう。
同様に、元禄年間、山奥の川に漁にでかけた男が、川上で網を引く大入道と出会っている。腹の座った男は、脅えずに網を、大入道と引き合っている内に、姿を消した。
このように、水辺にも大入道が出たらしい。滝壺を覗き込んむと、大入道は太鼓を首から提げて踊っていた。雨乞いの時は、滝壺に大きな石や柴を投げ込む。すると、滝壺の主である大入道が怒って雨を降らせるという。伊勢の榊原の伝承だ。
大入道には、巨人から、さほどにはおおきくないものまで樣々だった。
「月堂見聞集」に、巨大な大入道が載っている。伊吹山の麓に大雨が降り、大地が激しく震えた。すると間もなく、野原から大入道が現われ、松明状の灯火を掲げ、豪音を響かせながら歩いていった。周囲の村人は、激しい足音に驚いて外へ出ようとしたが、村の古老が厳しく制した。やがて音がやみ、村人たちが外へ出ると、山頂へと続く道の草が残らず焼け焦げていたという。古老が言うには、大入道が、明神湖から伊吹山の山頂まで歩いていったということである。
三河国の豊橋近くに、古着商人が商用で名古屋へ行く途中、大入道に遭遇した。身長は1丈3〜4尺に過ぎなかったという。
単眼の大入道もいたが、これは山神が一つ目という伝承にも付合する。
嘉永年間、支笏湖畔の不風死岳(ふっぷしだけ)近くに、大入道が出現した。その大きな目玉で睨みつけられた人間は、卒倒してしまったという。
「宿直物語」には、護衛の侍たちが集まり、手柄話をしていたときに、ある北面の武士が言うには、夜に鞍馬から帰る途中に、三つ目の大入道が襲ってきた。そこで大入道のマゲをつかんで放り投げたという。人々は、大入道にマゲがあるのかと一笑に付したという。