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 小さい頃の記憶を遡ってみれば、ふと見た壁の染みが人の顔や動物の姿等に見えて、怖く思った経験はなかっただろうか。コンクリートの壁や体育館の壁、教室の壁にも至るところに染みはある。都会ではめずらしいかもしれないが、今でも地方に残る古い家の壁(土で出来た土壁や木で出来た木壁等)には、長年の生活で蓄積された埃や湿気による大きな染みがあったりする。
 そんな染みの中でも、特に家の天井に浮き出るものは天井嘗(てんじょうなめ)によるものかもしれない。天井嘗とは、天井裏に住む妖怪である。天井嘗は、長い舌を持ち、それで天井を嘗め、天井に汚い染みをつけると言われている。昔の家屋は天井が高く、蛍光灯などがない時代にあっては、天井は薄暗く気味の悪い空間であった。そんな天井にふと行灯やろうそくの火を近づけてみると、いつの間にか大きく汚い染みがあった。これをどう説明するか。当時では、その理由が全く分からなかったのだろう。ここに天井嘗の存在価値があったと思われる。
 鳥山石燕はその著書『百器徒然袋』にて、吉田兼好による『徒然草』の一節を引用しながら、(昔の)家が「天井を高くするのは家のためではなく、灯りが届かないので天井嘗が住みやすいからではないかと思う」と述べているが、「家のためではない」という指摘が興味深い。それは、薄暗いところに潜む何者かと共に、自然に共存していこうとする、私たち現代人が忘れてしまって久しい感覚を思い出させる。ちなみに鳥山による天井嘗にはモデルがあったと言われている。それは熊本県に伝わる「いそがし」(いつも忙しくしている)という妖怪であるが、真相は定かではない。
 ところで、先に天井嘗の姿を簡単に述べたが、現代における天井嘗の姿は水木しげるによる『ゲゲゲの鬼太郎』によって、ある種の一定的な姿形が定着しつつあると言えよう。ゲゲゲの鬼太郎の一キャラクターとして登場した天井嘗は、痩せており長身で、長い手足を持っている。身体の色は紫で、顔はケダモノのようである。服は藁のような物で出来た腰箕を一枚撒いている程度で、それ以外は裸である。そして赤く長い舌を持ち、天井を嘗めまわして忌々しい染みを作り出す妖怪として描かれている。『ゲゲゲの鬼太郎』の中では、主役級でもなければ、時折登場する名わき役ともならなかったが、カビを好んで食べたり、家を荒らしたりする一妖怪であった。出身は妖怪アパートである。
 天井嘗による天井の染みを「忌々しい」と書いたが、この染みがもとで死に至ったというケースもないわけではない。日本博学倶楽部による『お江戸の「都市伝説」』によれば、染みは時折、おどろおどろしい人の顔や獣の姿に見える。そうした染みを寝床で見上げていた人が、発狂して死んでしまったこともあるらしい。
 山室静編著『妖怪魔神精霊の世界』では、群馬に伝わる話として、館林藩時代のことが記載されている。同書によれば、館林藩の家臣が天井嘗めを捕えることに成功した。その後、館林藩は天井嘗を懲らしめるのではなく、逆に天井嘗を使って、館林城の天井の蜘蛛の巣を嘗めとらせたと言われている。
 昔の人々にとって天井とは暗く良く見えないことから、異界や異空間であった。天井嘗はそこに住む代表的な妖怪であるが、天井には他にも様々な妖怪が住んでいる。「天井下(てんじょうくだり)」と呼ばれる妖怪は、ただ単に天井からぶら下がっている妖怪である。天井からは汚い足が突然出てくる話もある。その足は「洗え」と言うらしい。無視すると天井に穴が開き、きれに洗うと何も起こらないと言われている。