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寛文年間(1661年~1673年)に近江の国、甲賀郡(現・滋賀県甲賀市南部)に現れたという妖怪。
人々が寝静まった真夜中の通りを、荷車を曳く音が近付いてくる。
この頃に使われていたのは大八車という運搬車両であり、木製の輪に鉄のタガを巻いて補強した車輪が平坦な荷台に装着された簡単なものである。当然の事ながら未舗装の道を曳いて歩けばガタガタと大きな音を立てる。
夜中にこんな音を出されては甚だ迷惑である。出て行って文句のひとつも言いたくなるが、近江の人々は夜中の荷車が通ると、外を覗うどころか扉をきつく閉ざして隠れるように息を潜める。
ゴトゴト、キシキシと車輪を鳴らして、板戸一枚隔てた通りを過ぎっていくモノ。
それが片車輪(もしくは片輪車/カタワグルマ)と呼ばれる妖怪である。
鳥山石燕の『今昔画図続百鬼』によれば、その姿は炎に包まれた片車輪の大八車である。曳き手の姿は無く、荷台には若い女の姿が描かれている。
本来、片車輪の姿を見ることは禁忌とされていた。その姿を見た者には必ず災いが降りかかると言われていたからである。誰かれ構わずに災厄をもたらすのではなく、禁忌を犯したものに災いを与えるという性質は、日本に古くからおわす神が与える祟りに近い。
ところで、見てはならないはずの妖怪の姿がこの様にはっきりとした姿で描かれているのには、こんな昔話が関係している。
ある夜、一人の女房が夜中に大路を進む車の音を聞いた。
女房はそれが片車輪の音だとすぐに理解したが、この時、好奇心が頭をもたげた。
(よし、ひとつ片車輪の正体をのぞいてやろう)
女房は布団から抜け出すと、静かに戸を引いて隙間から外を覗った。
ゴトゴト、キシキシ……車の音はどんどん近付いてくる。もう家のすぐ目の前だ。
まだ何も見えない。まだ見えない。やがて通りがオレンジ色に染まっていく。
ついに女房の目の前に現れたのは、炎に包まれた片車輪の荷車だった。曳く者もいないのに、ゆっくりと横切っていく。炎に捲かれた荷台に座っているのは美しい若い女だ。
女房は目の前の光景が信じられず、動く事もできない。
(このまま通り過ぎてくれ)
だがそう念じたとたん、若い女が振り返った。そして「馬鹿な女だ。私を見るよりもお前の子供を見るがいい」と言った。
女房はその言葉で正気を取り戻し、慌てて戸口から離れた。同時に今の言葉を思い出して子供が寝ている部屋へと急いだが、そこにいたはずの我が子の姿は跡形も無く消えてしまっていた。
これこそ片車輪の祟りだと嘆き悲しんだが、全ては後の祭りであった。
翌朝には家人の知るところとなり、手分けして子供の姿を方々探し回ったが甲斐は無く虚しいのみであった。
さて、次の晩の事である。
荷車を引く音が鳴り響き、ゴトゴトキシキシと車輪を鳴らしながら炎に包まれた片車輪が近江の町を彷徨っていた。
どこへ行くのか、どこからやって来たのかも知れないその車は、昨夜、彼女の姿を盗み見た愚かな女房の住まいの前へと差し掛かった。
ふと見ると、その戸口に何か張ってある。そこにはこの様な歌がしたためられていた。

「罪科は われにこそあれ 小車の やるかたわからぬ 子をばかくして」
(あなたの姿を見たのは私の罪であり、子供には何の罪もありません。罰は私が受けますから、どうか子供を返してください)

自分の命を引き換えにするつもりで、片車輪の女に懇願したのである。しかし相手は人ならぬ妖の身だ。話が通じるだろうか。
戸の反対側では女房が震えながら事の成り行きを待っていた。
片車輪の女は燃え盛る炎の中からじっとその歌を見ていたが、やがて口を開いた。
「子供のために自分が犠牲になるつもりか。愚かだが……子供を愛する気持は私にも良く分かった。その優しさに免じて今回ばかりは、子供を返してやろう」
その言葉は女房の耳にも届いていた。はっと顔を上げると、寝室から微かに赤ん坊の泣き声が聞こえる。転がり込むように飛び込んだ寝室には愛しい我が子が戻っていた。
泣きながら感謝の声をあげる女房の耳に女の声が届いた。
「人に見られた以上、私はもうここに留まることは出来ない……」
声と車の音は消え失せた。そしてその夜以来、二度と近江の町に現れなくなったという。
以上が近江で語られた片車輪の昔話の概要である。
恐ろしい姿で現れ、見たものに災いをもたらす妖怪でありながら、人の優しさに心を打たれて親子に教訓を与え、その場から姿を消す。
優しい妖怪である。この妖怪の背景に強烈な母性を感じずにはいられない。
また大八車の語源のひとつに、滋賀県の大津の八町で使われていたことから「大津八町の車」が略され大八車になったという説があり、片車輪が生まれた背景をおぼろげながら示唆している。