怨霊(怨霊)とは、ひどい仕打ちにより、亡くなった者の恨みなどの強い霊や生霊で、祟ったりするものをいう。
『怨霊の概要』
怨霊は、生きている人に災いを与えるとして恐れられている。
憎しみや恨みを持った生霊や、非業の死を遂げた人の霊的なものが、生きている人に災いをもたらすもので、霊魂信仰の考え方として、霊魂が、肉体の中に安定して存在しているときは、人として生きていられる状態で、恨みや憎しみなどの感情があまりに激しかったりすると、霊魂が肉体から抜け出し、生霊となり、災いを与えると考えられる。
戦死、事故死、自殺など、非業の死を遂げた人の場合などは、魂と肉体が健在な状態から、突然、肉体だけが滅びた状態になり、その状態になると、その人の霊魂は、行き場を失い、空中をさまようと考えられていた。
これらの事を、浮遊霊と呼ばれている。
平安時代などの書物などにさかんに登場するものの怪(もののけ)や、中世の怨霊や御霊、無縁仏や幽霊などは、
いずれもこの浮遊霊に該当するものとみることができる。怨霊を主題とした講談や物語がたくさんあり、こういったフィクションなどは、様々な設定で表現されているようだ。
『怨念』
神霊において言われる、怨念(おんねん)とは、祟りなどを及ぼすとされる「思念」を指している。
『怨霊の伝承』
日本でいう怨霊の例として、古くから平安時代の菅原道真や平将門、崇徳上皇などの歴史上の戦乱に関連した人物達の、祟りにまつわる伝説が有名である。
特に、平将門の話は有名で、戦にやぶれ、首をさらしものにされたが、何ヶ月経っても腐らず、夜な夜な「斬られた私の体はどこだ。ここに来い。首をつないでもう一戦しよう」と叫び続けたとされている。
その後、首は関東を目指し、飛んでいったという説もあるが、途中で力尽きて落下したとも言われている。
江戸時代頃になると、「田宮家で実際に起こったとされる妻のお岩にまつわる一連の事件」としてまとめられたもので、『四谷雑談集』があり、鶴屋南北(四世)が怪談として脚色したという「東海道四谷怪談」などがある。
そして、近代では、明治時代から第二次世界大戦終戦直後に東京で起きたとされている、「大蔵省庁舎内およびその跡地における『首塚』移転の際に起きたとされる数々の祟り」など、伝承されてきた怨霊に関する風聞が広まったこともあったようだ。
『民俗学から見る怨霊』
江戸時代になって、それでもまだ庶民達の怨霊に対して、畏怖の念や恐怖心を抱いていたという民族学上の分析もあるようだ。
しかし、怨霊とは反対に、祝い、祀られているものがある。それは祖霊(先祖の霊の事)である。
また、民俗学と関係ないが、哲学者の梅原猛は日本史を怨霊鎮めの観点から捉えた「怨霊史観」で有名である。
インドにおける仏教では、人は7日に一度ずつ7回の転生の機会があり、例外はなく、49日以内に全員誰もが転生すると考えられていたために、霊魂という特定の概念が違うのだが、日本では神仏習合のため、日本の仏教では、霊を認める宗派もあるのだそうだ。
『怨霊信仰』
怨霊を神格化し、信仰する。平安時代以前の怨霊とみられるものに関しては、大和政権が、征服を進める際に敵方の霊を弔ったという隼人塚というものがあるようだ。
いくつかの神社などにおいて、実在していた歴史上の人物が、神として祀られている。
『日本三大怨霊』
祀られている人物と場所
・菅原道真=太宰府天満宮(福岡県太宰府市)や北野天満宮(京都市上京区)
・平将門=築土神社(東京都千代田区)や神田明神(東京都千代田区)
・崇徳天皇=白峰宮(香川県坂出市)や白峯神宮(京都市上京区)
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