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温羅(うら、おんら)は、岡山県の南部の吉備地方に伝わるとされる、古代の鬼の名である。
この鬼は、「鬼神」や「吉備冠者(きびのかじゃ)という異名があり、古代吉備地方の統治者であったとされている。
中央の伝承によれば、吉備には吉備津彦命(きびつひこのみこと)が派遣されたのだが、吉備に残っている伝承では、温羅は吉備津彦命に退治されたとされている。
この伝承は、遅くとも、室町時代末期には、現在の形で成立していた伝承とみられ、文書には、数種類の縁起が伝えられている。
そして、この伝承は、桃太郎のモチーフとなったともいわれているようだ。
『温羅の伝承』
伝承によれば、温羅は、吉備の外から飛来して吉備に至り、温羅は、製鉄技術を、吉備にもたらして、鬼の城を拠点とし、一帯を支配したのだという。
吉備の人々は、都へ出向き、貧困を訴えたため、10代目「崇神天皇」が、四道将軍の一人でもある吉備津彦命を派遣したのだった。
吉備津彦命は、現在の吉備津神社の地に本陣を構え、そして、温羅へ攻撃をしたのだが、一本ずつ射た矢は、岩に呑み込まれてしまった。
そこで、2本同時に矢を射ったところ、温羅の左目を射抜いた。
すると、温羅は、キジに化けて逃げたので、吉備津彦はタカに化けて追った。さらに温羅は、鯉に化けて逃げたので、吉備津彦は鵜に変化し、ついに温羅を捕らえ、温羅をようやく討つことができたという。
討たれた温羅の首は、さらし首となったが、討たれてもなお生気があり、時々、目を開いてはうなり声を上げたという。
それを見て気味の悪くなった人々は、吉備津彦に相談をし、犬に、温羅の首を食わせて骨にした。
ところが、それでも静まる事はなかったという。
そして、次に、吉備津宮の釜殿の竈の地中深くに骨を埋めたのだが、13年間うなり声は止まず、周辺に鳴り響いたという。
ある日、吉備津彦命の夢の中に、温羅が現れた。そして、温羅の妻の阿曽媛に、釜殿の神饌を炊かせるように告げた。
この事を人々に伝え、神事を執り行うと、うなり声は鎮まったのだという。
その後、温羅は、吉凶を占う存在となったのだそうだ。
『伝承に登場する人物』
「温羅側」
・温羅=「吉備冠者」「鬼神」とも呼ばれる。
鬼ノ城を拠点とし、百済から飛来し、渡来人で空が飛べた、大男で怪力無双だった。大酒飲みだったという。
・阿曽媛 (あそひめ)=温羅の妻で、阿曽郷(現・総社市奥坂)の祝の娘。
・王丹(おに)=温羅の弟である。
「吉備津彦命側」
吉備津彦命(きびつひこのみこと)=記紀にある記載では「大吉備津日子命」とも書かれている。
いずれも、吉備平定後の名であり、本名は本の名を「彦五十狭芹彦命(ひこいさせりびこのみこと、比古伊佐勢理毘古命)」。である。
第7代孝霊天皇皇子。『日本書紀』では四道将軍に数えられる。『古事記』『日本書紀』とも、吉備へ征伐に派遣されたとされる。
地元では、妃として百田弓矢比売命や高田姫命(たかだひめのみこと)の名で伝わっている。
・稚武彦命 (わかたけひこのみこと)=記紀の記載では「若日子建吉備津日子命」とも。兄を「大吉備津彦命」、稚武彦命を「吉備津彦命」と記す場合もあるようだ。
吉備津彦命の弟であり、『古事記』では、兄とともに吉備へ派遣されたとする。
・犬飼武命 (いぬかいたけるのみこと)=忠実な家臣で、桃太郎における犬のモデルとなったとされる。
・楽々森彦命 (ささもりひこのみこと)=当地出身の家臣で智将といい、桃太郎における猿のモデルとなったとされている。
・留玉臣命 (とめたまのみこと)
「遣霊彦命」ともいう。
鳥飼に優れた家臣とされ、桃太郎における雉のモデルとされている。