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コロポックルは、北海道アイヌ民族の伝承に登場する小人のことである。コロポックルまたはコロボックルと呼ぶ。キャラクターとしては、妖怪というよりも妖精や精霊の類で、すばしっこく、いたずらや悪さなどはしない、気立てのよい性質を持っている。イラストにすると1枚の大きな蕗の葉を傘のようにさしている様子が描かれることが多い。
そもそもコロポックルという名称は、アイヌ語で「蕗」を表す「ココロニ」と「下」と言う意味の「ポック」、「人」を表す「ウンクル」の3つを合わせて「蕗の葉の下に住む人」という意味があり、アイヌの人たちにとっては神様のような存在とされている。地域によっては「竪穴に住む人」という意味のトィチセウンクルやトィチセコッチャカムィ、トンチなどと呼ばれることもある。
アイヌ民族に伝わる小人伝説の内容は、十勝地方の名前の由来となったものが特にメジャーであり、以下がそれである。
昔、北海道の十勝地方にはアイヌの人々が住む前からコロポックルという小人の種族がたくさん暮らしていた。屋根をフキの葉で葺いた竪穴式住居を住まいにし、石器や土器を扱って生活していた。魚を捕ることに長けており、笹の葉を縫い合わせた小船で漁に出て、何艘かで一匹のニシンを釣り上げるという技術を使っていた。コロポックルたちは温和な性格をしており、アイヌの人々に対して友好的だった。狩猟や漁で得た獲物をアイヌの人々へ贈ったり、また物々交換をしたりなどと良好な関係を保っていたのだ。コロポックルたちは自分たちの姿を見せることを極端に嫌っており、それらのやりとりは夜に窓などからこっそり差し入れるという形態だった。ある夜のこと。アイヌの若者がコロポックルの姿をひと目見ようと、贈り物を差し入れる時を家の中で待ち伏せることにした。そこへ一人のコロポックルがアイヌの家に肉を届けに来て、戸の隙間からそっと中に入れようとした。差し入れられたその手は白く美しい手だった。中にいた男はその美しい手をつかんで、コロポックルを家に引っ張り込んだ。見ると小さな若い女性だった。コロポックルは恥ずかしさのあまり、泣きながら外に逃げていった。この話を聞いたコロポックルの仲間たちは、青年の無礼に激怒して「この土地は干したように枯れていくことだろう。これからはこの土地をトカプチ(水は枯れろ、魚は腐れの意)と呼ぶがいい」と言い残すと、一族を挙げて北の海の彼方へと去ってしまった。それからこの地はトカチプ(十勝)と呼ばれるようになり、以降アイヌの人々がコロポックルの姿を見ることはなくなったという。現在でも、土地のあちこちに残る竪穴や、地面を掘ると出てくる石器や土器は、彼らがかつてこの土地にいた名残なのだという。
地域によってこの伝承の内容には差異がある。例えば「男が引き入れたコロポックルの美しい顔や手には刺青が施されていた(その後アイヌの婦人たちにも刺青が広まった)」「コロポックルは怠け者で、アイヌの人々が彼らに食べ物を与えていた」「トカプチと呪いの言葉を言って去ったのは、コロポックルがアイヌの人々に迫害されていたからである」など、コロポックルの小人伝説と言ってもさまざまである。
一説によると、北千島のアイヌがコロポックルのモデルとなっているというものがある。相手との接触を避ける沈黙交易や竪穴式住居に住んでいたことなどの習俗が一致することから提唱された学説である。また、主にコロポックルの伝説が言い伝えられているのは十勝や帯広など北海道から樺太、南千島までである。しかし北千島に限っては伝承されておらず、コロポックルが北千島アイヌである可能性は高いとされたのだ。ちなみに、実際の北千島アイヌは北海道アイヌや本土に暮らす和人と体格に大きく変わりはないと言われている。この他にも幾多の考古学者がコロポックルについての学説について意見しており、明治時代の学会ではコロポックルにまつわる大論争が巻き起こったこともあった。