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疫病神は、古代から信じられて来た、病気をもたらす悪神。厄病神退散のため、各地で様々なまじないが考え出された。
福島では、2月8日、10日をヨウカ、トウカと呼び、この日には疫病神が通ると信じられて来た。おしとげという食事を済ませるまでは、外出もままならなかった。8日10日は山に入ることもタブーで、山に行くと、疫病神にさらわれるとか、足を怪我するといって、恐れた。一説に、来厄の日には、厄病神が各戸を覗き、厄病を伝染させる人の名前を記入して歩くと言われていた。
山梨では、正月14日に、厄病神が来ると言い伝えがあり、神奈川の津久井では、12月8日を事八日と呼び、悪日(あくび)と定めていた。旧師走8日と2月8日を、八日様と呼ぶ地域もあった。
厄病神除けのまじないとしてポピュラーだったのは、目カゴという目の粗い竹のカゴやふるいを、玄関前に吊るしておくという方法だった。これは簡便で、すぐに間に合うことから、全国に広がったようだ。疫病神は自分よりも目の大きいものがいるというので逃げ帰る、または、屋内に入って来れないと信じられた。これは、天目一箇神(あまのまひとつのかみ)やオコトノカミと呼ばれる、単眼の神への信仰が背景にあり、このシンボルとして、目カゴを使うようになったと推定される。
なお山梨では、2月8日に掛けた目カゴを、10日にははずしたという。
神奈川では、厄病神が来る日には、下駄を見えない所に隠す。疫病神は下駄に判を押し、判を押された下駄をはくと、病気になってしまうと信じられた。また、めけえという目カゴにはヒイラギの枝を刺しておいた。疫病神の眼をヒイラギのとげで刺せば、悪神はもう来られないという思考だった。
厄病神除けの別の方法は、村の境で火を焚くことだった。用竹では、1月16日が来厄とされ、各家の病気を調べておいた疫病神が、山の神にそれを預けため、山の神が取りに来る日だった。その際、山の神は火に合えと、厄病神が用意した控えも燃えてしまうから、疫病神は家に入り込めなくなるとされた。
どんど祭り、あるいはトントと呼んで、松が取れた頃に、正月の松飾りや門松、書初めなどを焼く行事がある。これが、厄除けに結び付くのだ。この火は、道祖神の前で焚いた。道祖神の石の神体を、火で焼いたりしたという。これは先のバリエーションで、疫病神が病人の控えを、道祖神に預けるため、これを妨げる方策だった。更に神奈川には、一つ目小僧が厄病神の札を道祖神に預けるという話もあり、厄病神が、疱瘡神など、他の病気の神々とも同一視される場合があったのだろう。
他にも、ニンニク味噌やネギを作って、疫病神を避ける方法も取られた。
厄病神に似たのが、風邪の神だった。風邪の神除けのまじないは、赤い紙に小さい子供の手形を捺して、「吉三さんはおりません」と書いて門口に貼り付けた。八百屋お七が吉三に失恋のままで死んで風邪の神に変化、吉三を取り殺そうと、各戸ごとに覗き歩くのだという。この赤い紙を張り出しておくと、吉三の手形ではないので、中を覗かずに帰ると信じられていた。
厄病神の怪談もある。古着を買った女が、その日の夕刻から熱にうなされた。うわ言から、古着に残っていた厄病神が憑いたと判った。厄病神が言うには、これから他へ取り殺しに行くつもりだったが、古着を買われてしまったので、この女に仕方なく憑いたという。古着を買う時には、手から手へ金を渡してはならず、直に渡すと、古着に憑いた厄病神には憑かれるというのだ。赤飯とお神酒を供えて、厄病神に去ってもらうと、数日して全快した。しばらくして他の一家全員が、厄病神にとり殺された。