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一般に、井戸の神として水神を祠った。水そのものが、けがれを祓(はら)う清いものとされ、古代から多様な信仰があった。
生活に欠かせない井戸は、神聖な場所とされ、清浄と静寂が保たねばならなかった。京都では、井戸の上で話をしているだけで、井戸の神の不興を買うとして、おしゃべりさえ戒めたほどだ。
全国的に多いのが、井戸の神は金属を嫌うという特徴だ。兵庫の揖保では、井戸の中に金物を落とすと、首から上の病気になる者が絶えないという。長崎でも、金物を井戸に入れれば身体が痛み、これを「水神ざわり」と称した。これは、飮料水を汲む河川も同様だった。この点からも、井戸の神が、水源そのものを司る水神だったのは、明らかである。長崎でも、井戸の神の障りは、失態を演じた当人のみならず、家族にまで及んだ。井戸の神の怒りを鎮めるためには、改めて、お神酒、塩や米を供えなければならなかった。
佐賀でも、井戸の神の障りがあった。ある旧家で急病人がでた。さる法師に占ってもらうと、井戸の底に金物が沈んでいるから、水神を祀るようにと勧められた。和歌山でも、老婆が頭痛に苦しんでいたので、「ヒヤミズ」で占ってもらったら、水神を祀らないからだと指摘され、水神を捜して祀ったら、頭痛も快癒した。
ここまで厳しいのも、水神が太古の神だからだろう。神話にある弥都波能売神(みづはのめのかみ)を水神として祠ることが多いが、その土地特有の、無名の水神なども祀られた。例えば、井戸の中に鯉などが放たれている場合もあり、魚が棲めるほどに、水質が良いということになる。この魚を井戸の神と見做す地方もあり、もちろん、魚を釣るなどというのはタブーだった。
一方で、土公神(どこうしん)という見方もある。群馬では、土公神が春にカマド、夏は井戸、秋は門、冬は庭にいると信じられた。このため、春にカマドをいじると、神が祟るといって恐れた。岐阜では、土公神を土の神と考え、同様に、四季に応じて神の宿る場所を替えた。だから、四季に応じた場所に、飲み残しの茶湯などを捨ててはいけないという。土を取る時にも、土公神の祟りがないように、祓いの行事を執り行った。
井戸に龍神が関わる場合もあった。水が干上がって困った時、龍神井戸に、水を授けてくれたら娘を嫁に差し出すと祈ったところ、田畑に水が満ち、約束通り、娘は龍神に嫁いだ。その娘は、夜に井戸に来て頼めば、欲しいものは何でも出そうと告げて、姿を消す。井戸に皿を望み、その皿の一枚を割れたままで返すと、井戸から娘の泣く声が響いた。それ以来、願いは聞き入れられなくなったという。
宮崎の臼杵では、井戸を掘り直した時、腰かけを不用意に井戸の中に落としてしまった。それ以来、夜な夜な、井戸から怪音が聞こえるようになる。腰かけを引き上げ、神酒を供えたら、怒りが収まって音も止んだ。
薩摩では、井戸の神には初成りの茄子を供える。熟れ過ぎた茄子だと、怒った神が、歯形を付けるという。
宮城でも、井戸の神は祟った。道を通すため、井戸を埋めた上、地蔵像を動かしたら、井戸の神と火の神、地蔵が揃って、毎晩姿を現わし、怒りを露わにした。オガミサンという民間宗教者に占ってもらい、きちんと祀ったら現れなくなった。
香川の三豊郡でも、井戸を埋めるときは太夫さんという拝み屋にお祓いをしてもらう。また、井戸の神が帰るようにと、井筒を入れてから埋めたという。井戸の神は、その筒を通って帰って行くと信じられた。
ちなみに、平安時代の文人・小野篁(たかむら)は夜ごと井戸を通って地獄に降り、閻魔(えんま)大王のもとで裁判の補佐を務めたという伝承がある。