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自然界にいる現存種、小型哺乳動物のイタチは、キツネやタヌキ同様、人を化かすと信じられ、他にも数々の怪異を起こした。
江戸期の随筆「兎園小説」に、鼬(いたち)の怪の記載がある。文政年間、娘が奇病にかかった。身体のあちこちから、針が出るようになったのだ。夜になると、娘が寝ている回りや蒲団の下を、鼬が歩きまわっているようだと、噂が立ったという。
群馬でも、鼬がよく化けたという。鼬の顔は「メメ(面)」良い顔だ、ちょいと出せとはやし立てると、鼬が手をあげて、得意げにやって来たと記録にある。
秋田の横手で、龍泉寺に鼬が棲み付き、住職が木の葉に経文を書いてやると、子を産んでから死んだ。夢枕にその鼬が立ち、自分の生まれ変わりだから、鼬の子を引き取ってもらえるように頼んだ。言葉の通りに引きとって育てると、その鼬の子は大和尚になり、様々な法力を使ったという。
福島の相馬にも、鼬の怪が伝わっている。井戸端に、2尺ばかりの人影が目撃された。何とも形容できない、変った顔だった。人影は間もなく消えたが、鼬だろうと考えられた。8、9尺ほど赤青い火柱が立ちのぼり、かき消すように消えたので、とても現実の人間とは思えなかったのだ。
山形では、「弥彦さま」と呼ばれる地元の神に、いけにえとして、娘を捧げなくてはならなかった。一人娘を神に捧げることになった家の者が、旅の侍に相談した。そこで、侍が娘に扮して待ち伏せると、神ではなく化物が現れ、侍が刀で斬って退治した。人々が神様と信じていたのは、実は鼬だったのだ。
岩手にも、似たような話がある。毎夜、寺の本堂に怪火が燃え、その影が恐ろしい大入道の姿に見えたという。残された足跡を追ってみると、鼬の巣があった。鼬を退治すると、大入道も怪火もぱったりと出なくなった。
新潟では、男が悩みに付けこまれて、鼬にだまされた。鼬が棲むという噂のあった宮の近くで様子がおかしくなり、谷の中に入ったまま、家に帰らなくなった。小柄な人なのに、若者数人がかりでも、びくとも動かせなかった。鼬は煙草を嫌うからといって、一服させると、正気に戻ったという。
明治初期、鼬が、マゲを落とした散切り頭の男に化けて、魚を食べると噂が立つ。鼬が化けた男にドジョウを見せると、鼬は正体を悟られたと思って逃げて行くという。このように、明治までは、獣が化けて人を惑わす事件が、たまに新聞を賑わせてもいた。
鼬に関する言い伝えも、各地に多く残っている。
阿蘇では、鼬に道を横切られるのを「鼬道」と呼んで嫌った。鼬が右から左へ通るのは構わないが、その逆が悪いと信じられていた。まじないを3回唱えれば、災いは起きないともいう。千葉でも、朝に鼬に道を遮られると不吉で、その日の仕事は不首尾と言われている。静岡では夜間に、道行く人の後をついて来るのを「送り鼬」と呼んだ。草履を投げてやると、鼬を追い払えたという。
奈良には、「鼬の一声泣き火に立つ」と言い習わしが残っている。鼬が一声だけ鳴くのは縁起が悪く、火事が起きると信じられていた。たとえ鼬の鳴き声を聞いても、流しで3遍水を流せば良かった。
新潟で、鼬に砂をかけられることがあり、これを「砂撒き鼬」と呼んだ。能代川の村道を夜、通行すると、砂を上から落ちて来る。しばらく行くと、また砂が降る。鼬が後肢で、砂を蹴っていると信じられていた。岡山では、これをスナマキと呼び、妖怪・砂かけ婆とも同一視したらしい。久留米や津軽でも、砂の怪異は鼬の仕業と考えられた。