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猫娘(ねこむすめ)は、ねこのような仕草や生態、風貌を持つ、人の姿をした妖怪であり、実際にそう呼ばれていた人物もいたようである。
『見世物小屋の猫娘』
宝暦・明和年間(1751年から1771年まで)の江戸や、京都、大阪では、障害者などを使い、見世物小屋をするのが流行していた事があったのだそうだ。
その最中に、江戸の浅草で、ネコのような顔つきの女性が『猫娘』と称されて、見世物にされていたという。
こうした障害者の見世物は、後に安永・天明年間(1772年から1788年まで)にかけて最も盛んだったのだが、猫娘はそれほど評判にはならなかったようだ。
『古典における猫娘』
1800年(寛政12年)刊行の読本『絵本小夜時雨』五之目録にある奇談「阿州の奇女」によれば、阿州(現・徳島県)の富豪の家に、男を嘗める奇癖を持つ女がおり、その舌がネコのようにざらざらしていたことから「猫娘」の名で呼ばれていたそうだ。
妖怪をテーマとした1830年(天保元年)の狂歌本『狂歌百鬼夜興』にも「舐め女(なめおんな)」の名で登場するが、これは妖怪のことではなく、奇人や変人の類の事である。
古書『安政雑記』には、実際の人物としての猫娘が記述にあるという。
『実在した猫娘と呼ばれた女』
1850年(嘉永3年)、江戸の牛込横寺町に、まつという名の知的障害の少女がいたのだが、その少女は、奇癖があったようで、家の長屋の住民が出した生ごみから魚の頭や内臓を食べたり、垣根の上を身軽に駆け回り、ネズミまで捕まえ、むさぼり喰っていたそうだ。
その少女の、ネコのような奇妙な行動から「猫小僧」「猫坊主」とあだ名をつけられ「深き因縁にて猫の生を受候哉」と噂された。
この奇妙な行動を、母親は心配し、医者や神仏に頼ったのだが、一向に回復する様子もなく、厳しく仕置きをしても無駄だったので、遂に剃髪させ、尼僧に弟子入りさせたのだった。
それでもやはり、魚の内臓を拾って食べるような行動は収まらず、尼僧にあるまじき悪癖の持ち主として家へ帰されてしまった。
少女は、周囲の子供達の格好のいじめの標的にされていたが、たとえ、子供達に追われたとしても、ネコのような身軽い動きで、屋根に飛び移り、逃げるので、誰も手を出すことができなかった。
一方で、大人たちは、家を荒らすネズミを捕ってくれることから、大人気であり、彼らには逆に銭を握らされ、親には内緒にすると言い含められた少女は、近所の床下やゴミ捨て場で、ネズミ捕りに励んでいたという。
『サブカルチャー的な猫娘』
紙芝居の最盛期であった戦前の1936年(昭和11年)に、因果物の紙芝居『猫娘』が、浦田重雄の手によって製作された。
この話の主人公である猫娘は、親がネコを殺して、三味線の皮にすることを職業としていたため、因果によって、ネコの性質を持ってしまったという少女で、ネズミを見ると目を輝かせ、耳を逆立てて追い回して捕らえて、生きたまま、ネズミを食べ、ネコのような声で鳴き、ネコのように家の屋根の上を駆け回ると言うものであった。
『猫娘』は、異色な作りでありながら、人気が出たが、それにより「トカゲ娘」や「蛇娘」などの類似作も出回るようになり、教育者からの批判の的となったのだった。
1937年(昭和12年)から警視庁保安興行係によって紙芝居の検閲が始まり、これは「猫娘」の流行がきっかけだったとの指摘もあるようだ。
そして、このイメージは、水木しげるの漫画「ゲゲゲの鬼太郎」に登場する猫娘に引き継がれていった。
1980年代後半からは、漫画やアニメなどでネコの特性を持ったキャラとして登場するようになり、猫の妖怪と人間の混血や、ネコが人間に化けたもの、化け猫の一種などと、さまざまな設定の猫娘が登場するようになっていった。