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狸憑きは、その名の通り狸の霊がついてしまった者を指す。
人に憑くとされる生き物はキツネが一般的だが、東北では狸も人に憑く生き物だ。
狸の巣穴を穿り返すいたずらや、故意に驚かすようなことをすると、怒った狸がその者に憑くとされる。
憑かれると異常なまでに大食になり、食べても食べてもきりがない。
そのうえ腐ったものまで口にするようになる。
こうしてたらふく食べるので腹は膨れるが、本人には栄養が行かない。
すべて狸に吸い取られてしまうため、やがて憑かれた者は栄養不足でがりがりに痩せて死んでしまうという。
また、暴力的になってだれかれ構わず殴ったりもする。
一種の奇病であるとも言われたが、ほとんどの症状が狸憑きと一致しているため、狸の憑き物として恐れられていた。

この狸だが、生きている人どころか死んだ人間にまで憑いたという話がある。
1828年のことだ。
「やち」という老婆が、江戸の屋敷に仕えていたのだが、ある日突然倒れた。
屋敷の者たちでやちを運び、介抱したところ、数時間で目を覚ました。
しかし、手足が自由に動かせなくなっており、その代わりにこれまでの何十倍もの飯をたいらげるようになった。
控えめな性格だったが陽気に歌を歌うようになったため、屋敷の主人が医者を呼んでやちを診てもらった。
すると、やちの体には脈がなかったのである。
すでに死んでいるのに、しっかり食べ、飲み、話もするのだ。
さすがの医者も奇病としか言えず、やちはそのまま女中たちが世話をすることになった。
毎食のやちの飯は7膳~9膳もの量であり、食後には団子を数本と金つばも数十平らげた。
また、読み書きができないはずなのに、動かない手で和歌を書いていることもあった。
大食なはずのやちは次第にやせ細り、あるとき着替えさせようと着物を脱がせたところ、体に穴が開いており、中から毛の生えた動物の一部のようなものが見えていた。
脱がせた着物と布団には動物の毛が大量についており、これでは世話係も困惑するしかない。
そんなある日、やちの部屋から阿弥陀三尊とやちが連れ立って出ていくのが目撃される。
慌てて部屋を覗くと、すでにやちは、ただの亡骸になっていた。
呆然としているとやちの体からは老いぼれた狸が1匹出てきて、その場を去って行ったという。
そして、世話係の夢の中に狸が現れ、これまで世話になったと礼を述べたのだそうだ。

こうした狸憑き話の他、浅草の寺では、狸が住職に自分たちを祀るように言ったとされる伝承がある。
和尚は増え続ける狸に手を焼いていたが、あるとき狸が自分たちを祀ってくれれば守り神になってやろうと持ちかけるのだ。
言われるとおりに祠を作って祀られたので、悪さをしなくなったのだという。
浅草寺にある鎮護堂に祀られる「鎮護大使者」というのは、この狸のことなのだ。
こうして祀られたものは「狸神」として今でも大切に扱われ、東北よりも四国に祠が多い。
狸は、そのままだと人を化かしたりいたずらをするが、狸神になると人に憑いたり悪さができなくなると信じられていたため、狸を祀った祠が多い。

憑き物としては犬神やキツネは非常に強く、恐ろしい存在として有名だ。
しかし一般になじみがないだけで、狸もまた強い妖力を持っている。
狸は人を化かすのが好きというイメージをもたれるが、人が狸の住家を奪っていることが原因であるとも考えられる。
一方的に狸が悪いのではなく、根本的な部分には人間の存在が絡んでいるのかもしれない。