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 塗壁(ぬりかべ)は、主に福岡県遠賀郡の海岸地方や大分県などで伝えられている妖怪の一種。姿はよくわからず、ただ壁のようなものを、人里近くの浜辺や夜道に出現させる妖怪で、大分県ではタヌキが化かしているとも言われている。
 夜道を一人で歩く人がいると、その行く手を壁にして、前に進めなくなる。その壁はどれだけ横にずれてもきりがないほど長く、たいていの人はそこで前に進む事をあきらめてしまう。
 この妖怪に出合ったときは、心を落ち着かせてから、棒きれなどで壁の下あたりをはらうといい。すると、今まであった壁が、うそのように消えてなくなる。
 大分県臼杵市では、塗壁のことを「壁塗り」といい、出る場所はだいたい決まっていて、石仏で有名な深田地区では。「原の坂」という、狭くて急な坂道によく現れたそうだ。

 文献では、1938年に発行された「民間伝承の会」の機関誌「民俗伝承」第37号に民俗学者の柳田國男が寄稿したものが初出とされ、柳田が、著書「妖怪談義」で「ヌリカベ」を記載して以来、塗壁の伝承が世間に知られ始めた。

 塗壁という名前は九州地方にしか伝わらないが、現象としては似たような話は各地にあり、山口県岩国市では、夜道にきなり金網が現れて、前に進めなくなるという話がある。
 高知県幡多郡地方では、夜道の行く手にふすまのような壁ができるのを「野襖」と呼んだ。
 漫画家の水木しげるは戦時中、敵から逃れるため、真っ暗なジャングルをさまよっていたとき、突然、目の前が壁のようになって前へ進めなくなり、しばらくすると何事もなかったかのように前に進むことができたのだという。

 元来、塗壁には名を示す資料のみで、姿を表す資料が存在しないといわれ、その伝承も一部の地方に限定されていることから、比較的無名な妖怪であった。そのため、その姿は漫画化・水木しげるが妖怪画や漫画「ゲゲゲの鬼太郎」のキャラクターとして描いた、目と手足をもつ巨大な壁のような姿が一般化し、登場するや一躍有名な妖怪となったが、これはあくまでも伝承をもとにした創作キャラクターであり、古典の画図に姿を描いたものは近年までは発見されていなかった。
 長らく、伝承のみで絵姿が存在しないと思われていたが、平成19年に川崎市市民ミュージアムの学芸室長所有の妖怪がに描かれた三つ目の獅子か犬のような姿の妖怪が、塗壁を描いたものとして発表された。元々この妖怪図は、絵のみで名前が記されておらず、正体不明であったが、平成19年1月、アメリカ合衆国のユタ州にあるブリガムヤング大学の図書館に寄贈されている資料の一部に記載された内容と一致し、後者に「ぬりかべ」と名前があることから、正体が判明したものである。
 しかし、一部の妖怪研究家はこの絵巻を「ぬりかべ」と伝承の塗壁が同一のものかどうかは推測の域を出ていないと懐疑的な姿勢を見せている。

 妖怪研究家の山口敏太郎は、塗壁の正体をあくまで自身の推理としたうえで、「壁塗り」の発祥地である臼杵市の油漆喰の発明と、江戸時代中期の食糧事情の変化が関係しているという説を唱えている。それによると、人々の口にする米が、玄米から白米になったことで、ビタミン不足がおき、ビタミンAの欠乏による夜盲症が目に見えない壁があるかのような感覚を、ビタミンB1の欠乏による脚気が足を前に進ませることのできないような感覚をもたらし、そうした行き止まりの怪異のような身体状態に、油漆喰が水をはじくイメージが加えられて「塗壁」という妖怪が誕生したとされる。