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 一つ目小僧(ひとつめこぞう)は日本の妖怪で、顔に目が一つしかない男の子の姿をしている。平安時代から現代にかけて、全国で目撃例がある。
 夜になると、道端や人のあまりいない屋敷にあらわれて、出会った人に顔を見せつけておどろかす。
 地方によっては、12月8日と、2月8日の「事八日」(ことのようか)にやって来るという言い伝えもあり、目籠を軒先に掲げて追い払う。また、魔よけの意味で籠に「めざし」や「ヒイラギ」を刺す地域もあった。
 基本は、びっくりさせるだけで、人に危害を加えることはあまりないが、静岡県の伊豆半島や、神奈川県のほうにいる一つ目小僧だけは別で、「事八日」になるとどこからかやって来て、家を覗き見しては、戸締りが悪い、行儀が悪いなど家の落ち度を調べて、その家の人の名前をメモする。このとき、名前を書かれた人は病気になってしまう。
 この際、一つ目小僧は12月8日に名前を書いたメモ帳を、道祖神(どうそしん)に一旦預けて、2月8日にまた受け取りに来るとされていることから、どんど焼などの行事で名前の書かれているメモ帳を燃やして災難から逃れるという行事なども行われている。

 民族学者の柳田國男(やなぎだくにお)は、一つ目小僧がかつて神であったと推測しており、祭祀のとき、一般の人間と違い神の一族である事を示すため、一眼をつぶしたと説明している。
 また、肉食文化の少なかった日本では、ビタミンAの不足は珍しいことではなかったであろうことから、ビタミンAの欠損などによる単眼症の奇形の子どもが生まれ、その子どもを一つ目小僧と呼んだものが始まりとも考えられている。

 江戸時代の怪談や随筆、近代の民族資料には、一つ目小僧の名が多くみられるが、特に「怪談老の杖」の話がよく知られている。内容は次のとおりである。
 江戸の四谷に住んでいた、喜右衛門(きうえもん)という、うずらの行商をしていたものがいた。
 ある日、麻布の古びた武家屋敷を通りかかると、屋敷から人が出て来てうずらを買うと言うので、うずらを渡し、代金を受け取る間、喜右衛門は屋敷の一室に通された。その部屋は天井も畳も雨漏りの跡が至るところにあり、ふすまなどは破れていた。家の人はしっかりしていて、貧しくも見えないのに、どうして建物を直さないのだろうと考えながら待っていると、いつの間にか10歳くらいの子どもが部屋に入ってきて、床の間の掛け軸をいじっている。子どもは、掛け軸を下から上へ巻き上げてはハラリと落とすことを何度も繰り返していたので、喜右衛門は子どもがこんないたずらをしていては親に叱られるだろうし、掛け軸が破れて自分のせいにされては困ると思い、
「これ、いたずらもほどほどにするものだよ。」
と声をかけると、子どもが振り返って、
「だまっていろ!」
と言って顔を向けた。なんとそれは一つ目小僧であった。
 喜右衛門は驚いて、気絶してしまった。
 声に驚いた屋敷の者により、自宅へ運ばれたが、その屋敷の者が言うには、その屋敷ではそのような怪異が年に4、5回はあるが、特にわるさはしないとのことだった。
 喜右衛門もしばらくの間は寝込んでいたものの、その後は元気を取り戻したという。

 「会津怪談集」では、外出をしていた少女が8、9歳くらいのこどもに声をかけられ、顔を見るとそのこどもの顔には目がひとつしかなく、気絶してしまった話や、「岡山の怪談」でも外出先での似たような話がある。